加藤ヒロ 公式サイト

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2019.05.07

相容れない関係

静かな湖畔。そこから少し歩いて坂を登った所に建つ洋風の建物。その建物の背後には白樺の林が広がる。

白樺の幹は太く真っ白で、その幹から複雑に伸びた細い枝々は若い緑の葉を茂らせている。白樺林の木々の間のその奥に広がる暗闇とのコントラストで、白樺の幹はより一層白く浮かび上がっている。

その白樺林の上には、真っ青な空が広がって、所々にぽっかりと雲が二つ三つ浮かんでゆっくりと風に流されていく。

僕の憧れの風景。

僕は昔から白樺が大好きで、そんな白樺が沢山自生している場所で暮らしてみたいと、ずっと思っていた。

白樺はある程度標高が高い場所でなければ自生しないので、自ずと僕が行きたがる場所も標高が高い山になる。

今の山小屋は、残念ながら周りに白樺は殆ど生えていないが、、偶然にも僕の山小屋の敷地にだけ数本自生していて、そのうち2本はそれまで見たことがないくらい立派な白樺だった。

そのことも、僕の中ではこの場所に決めた理由になっている(そのうち1本は小屋を建てる場所と被っていたので、泣く泣く切ることになったのだが。。)。

敷地内の数本の白樺は、いつしか虫に食われて弱ってしまい、台風が直撃した時に幹が根元から折れて倒れたり、太い枝が折れて地面に落ちたりと大きな被害に逢ってきた。

その度に植栽の人に頼んで新たに白樺を植えてもらって、なんとかして白樺が見える風景を維持してきた。

それなのに、、、いつの事だろう、、自分がシラカンバのアレルギー体質だということを知らされたのは。。

だから、この時期に山小屋に行くと朝方になって鼻水が止まらなくなることがある。

なんていうことだ。。。

調べてみると、シラカンバにアレルギーを持ってる人は、食べ物で言えば、りんご、もも、さくらんぼ等のバラ科の果物にもアレルギー症状が出やすいらしい。

ピンポ〜ン!

まさにそう。

食事改善をして随分と症状は良くなったけど、桃とかアメリカンチェリーを食べたときはもう覿面だった。

口の中だけでなく、喉の内側まですぐに痒くなる感じ。

だから、昔はレストランで食べれないものを聞かれると、りんごと桃とさくらんぼ、と答えていた。

あと、それ以外にもなぜが豆腐、、とりわけ豆乳にも同じような症状が出た。

それにまだ気がづいていない頃、某健康食品メーカーを仕事で訪問した時のこと。

クライアント側は、専務クラスのとてもお偉い方に対応していただいた。

そのお偉い方が、「これ、新商品だから飲んでみてください。」と小さな缶のボトルを会議室で差し出してくれた。

その当時、流行っていた豆乳を主成分にした飲料らしい。

それをゴクゴクと飲み干すと、、、1分後には、もう口の中と食道の内側が爛れて痒くなる感じに。。

うわ〜、これヤバイ。。。このままじゃ、、何も喋れないし。。

もう僕の中ではずっとサイレンが鳴り止まない状況だ。

で、結局僕はその会議中に一言も喋ることなく終了。

それ以来、豆乳系の飲み物は一切口にしていない。

中学の頃には、毎日のように豆乳を飲んでいたし、健康のためにも豆乳は飲みたいのに。。


今では、豆腐でアレルギーになることはなくなったけど、、車で白樺が群生している林道を走っているとクシャミが止まら無くなったりして。。思い込みか。。?

お金と恋は追いかけるほど逃げると言われるらしいけど、、もう山小屋の敷地にこれ以上白樺が増えることはなさそうだ。。

相容れない関係は、、如何ともし難いね。
2019.05.05

タネツケバナとの戦い

大阪から車で7時間かけて移動し、半年ぶりの山小屋へ。

着いた途端、目に飛び込んできたのは、半年放置したことで、すっかり自然に溶け込んでしまった敷地内の風景。

つまり、人間的視点から言えば、「荒れ放題」である。

敷地内に置いてある鳥の巣箱は倒れ、バードバスは傾き、畑のエリアにはコケが生え、芝生スペースには雑草が生い茂り、大きなアリから小さなアリまで至る所に蟻の巣が出来ている。

建物が壊れていないので、「荒廃」という表現は大げさだが、これで屋根でも崩れていればまさに「荒廃」だ。

僕らが半年空けただけで、建物に隣接している倉庫は大量のカマドウマが占拠し、平穏な永遠に続くと思われた暗闇を支配していた。

突然、開いた扉から差し込んだ太陽の光に、彼らにとっての暗闇の平和は打ち砕かれ、天井や壁から無数のカマドウマが飛び跳ね、パニック状態に陥っている。

アリにしても、カマドウマにしても、元々は彼らの居住区に僕たち人間が入り込んでいっただけだから、人間が留守の間に彼らが主権を取り戻してしまうのは自然の摂理とも言える。

傾いてカラカラに乾いたバードバスをまっすぐに直し、ジョウロで水を満たしてやる。

すると、シジュウカラがすぐそばにやってきて僕がジョウロで水を入れるのを太太しい表情で首を傾け見つめている。

こんなに野鳥が近くまで近寄って来るのは珍しい。

「早く、入れてくれよ。もう3日も水浴びをしていないんだ。早く水浴びをしたくてたまらないんだ。」

そうか、、理由はどうであれ、彼らの中にも僕の登場を待ちわびていたものがいたとすれば、それはそれで心が救われるというものだ。


翌朝、僕は大きな決意と共に戦闘態勢に入る。

この日の敵は芝生エリアに生い茂ったアブラナ科タネツケバナという雑草だ。

この雑草の厄介なところは、引っこ抜こうとするとタネの鞘が弾けてタネが飛び散ること。

自らの命と引き換えに種を後世に残す命がけの行為とも言える。

そんな種を残すことに一生懸命になっているタネツケバナを引っこ抜くのは非常に心苦しいのだが、引っこ抜けば引っこ抜くほどその勢力を拡大させてしまったために、今や大切な芝生エリアを占拠するまでに至ったタネツケバナの横暴を僕はこれ以上許しておくわけにはいかない。

僕は農作業用の手袋をはめ、地面に座り込んで汚れても構わない作業ズオンを履き、頭にはバンダナを巻く。

雑草を抜く作業には、それを何が何でもやり遂げるという、大きな決意が必要なのだ。

臨戦態勢の僕は、まずはタネツケバナが最も群生しているエリアから手をつける。

タネが飛び散らないように慎重に抜いていくが、幸いにもまだタネを飛び散らすほどタネツケバナは成熟していないようだ。

だからと言って乱暴に引っこ抜くと根っこが残ってしまうので、茎の真ん中あたりを優しく握り、根っこを揺らすように2、3度力を加えると比較的簡単に抜ける。

これがタンポポのように深い根っこを持った植物だったら本当に厄介だ。

このようにして、僕は一心不乱にタネツケバナを抜いていく。

山小屋の北側で、キジが鳴き声を上げる。「ギャーギャー!(ブルブル)」。

そして、南側からも別のキジの鳴き声が聞こえた。「ギャーギャー!(ブルブル)」。

もし、僕が生きているうちにキジにインタビューすることができるのなら、ぜひ聞いてみたいと思う。

「どうして、あなたは「ギャーギャー!」と二度鳴き声を上げた後、ブルブルと羽を鳴らすのですか?」

するとキジはこう答えるであろう。

「いやあ、どうにもこうにも「ギャーギャー!」って鳴くのって君には分からないだろうけど、結構力が必要な行為なんだ。そう、一瞬全身に力を入れないといけない。そうしないと「ギャーギャー!」って鳴けないんだ。その後の、ブルブルってのは、その力んだ体をリラックスさせるための行為なんだ。無意識のうちにね。いや、そうしないと僕たちは「ギャーギャー!」と鳴く前の状態に戻れないだ。だからブルブルっと羽を震わせるのさ。」

「ギャーギャー!(ブルブル)」と今度はもっと遠くの方から別のキジが雄叫びをあげた。

。。。

それにしても、タネツケバナは大量に生えている。

結構、抜いたと思っても、横からみればまだまだ大量に残っている。

まあ、彼らにとってみれば、子孫を残すチャンスは年に一度しかない訳だから、その与えられたチャンスを確実にものにするためには、これくらい大量に生い茂らないと割りが合わないんだろう。

そういえば、野生の動物も繁殖期は年に何度もある訳ではないし、犬だって通常は年に二度しかメスは繁殖期を迎えない。

後世に種を残していくには、それなりの知恵と工夫が必要なんだ。

一方で、人間はいつでもどこでも発情することができる特別な種類の生き物だと、その昔何かの書物で読んだことがある。

それは種を残すためにとても重要な要素であり、だからこそ、人間はここまで地球上を支配するまでになったと。

それなのに、今の日本の出生率は2.0を大きく下回り、人口の減少傾向に歯止めがかかっていない。

僕たちは種を残すという意識を、、もはや有していないのか。。。

そんな人間が今、タネツケバナが種を残すチャンスをことごとく奪い去っている。

。。。

そんな他愛のないことでも考えながらでないと、雑草抜きはやっていられない。

流石に疲れてきて、首を上げ視線を築山の方に向けてみる。

すると、そこには大きなキジの番いが悠然と歩いているではないか。

その距離わずか15メートル。

メスのキジは、僕の視線にすぐに反応して、そそくさと築山の茂みに身を隠したが、オスは僕の存在を知ってか知らずか、相変わらず悠然と振る舞うように、焚き火用のファイヤープレイスの石垣の上に立って世の中を見下ろしている。

首から胴体にかけての深い青と緑、そして少し赤みを帯びた配色が、人工的に作り出すことが出来ない芸術品のように映る。

そして、胴体から突き出た大きな尾は、ピンとまっすぐに斜め上方向に伸びている。

「ところで、君はさっきからここで一体何をしているのかね?」

キジは僕の方を向き、インタビューを始める。

「僕は今、タネツケバナという雑草を抜いているんです。」

「前から一度聞いてみようと思っていたけど、なんでいつもそんなに雑草ばかり抜いているのかね?私には、その必要性が全く理解できないのだよ。」

「それは、僕がこの芝生スペースを大事にしていて、芝生スペースは芝が敷き詰められて雑草一つない状態というのが最高だからなんです。」

「へえ。それはつまり、、君にとって「最高の芝生」というものはとても重要なものなんだね。」

僕は一瞬、回答に詰まる。。

「最高の芝生」は僕にとって、そこまで重要なものなのだろうか。。

そう考えているうちに、キジは西側の方へ向きを変え歩き始め、姿を消した辺りでもう一度「ギャーギャー!(ブルブル)」と雄叫びを上げて完全に僕の元から去っていった。

。。。。

粗方のタネツケバナを抜き終えたはずだが、きっと抜け忘れているタネツケバナが予想以上に沢山残っていることだろう。

僕は思いついたように薪ストープ用の大きめの着火剤を火挟で掴んで、それに火をつけた。

そして、勢いのある火を、芝生スペース一面に広がる去年の枯れた芝草に近づけて着火する。

乾ききった枯芝はすぐに燃えて、僕が抜き損なったタネツケバナを炎で包んだ。

よしよし、燃えろ燃えろ。

きっと、こうすることで火には弱い抜き損ねたタネツケバナのことだから、すぐに枯れてしまうだろう。

僕は着火剤を何個も燃やし、その度に枯れ草に火をつける。

ちょうどいい風が吹くと、火は勢いよく燃え広がる。

知らない人が見ると、ちょっとした放火魔かと思うかも知れない。

。。。

こうして、戦いは終わった。

まさに、芝生スペースは全体的に黒く焼け野原と化した。。

それは終戦という言葉がピタリと当てはまる光景だ。。

タネツケバナよ、、しばしのお別れだ。

また来年の戦いを楽しみにしている。。

2019.05.02

二つの時代を繋いだもの。。

世の中、平成が終わり令和元年が始まった話題で一色。

平成最後の日は、何かにつけて「平成最後の〜」とみんな言ってあらゆる事物を記念イベントに置き換えていた。

ちなみに、僕も例外ではなく、名古屋で平成最後のラジオ収録を終えて、その足で大阪まで移動。

平成最後の甲子園での阪神戦を観戦。

入り口で平成最後の阪神戦の証明書をもらったけど、折り曲げないと入らないくらい小さなカバンだったから、大切な証明書は一緒に行ったKB君の少し大きなカバンに預けたまま。。その写真がない(泣)。

この日の座席はバックネット裏のグリーンシート。。。おお、すごい!グランドが全部見渡せる。。今までの甲子園で一番いいかも。

数列後ろには、解説の掛布と福本が座っている。

試合前、広島カープの練習中に後輩の岩本選手に声をかけてやろうかと思ったけど、その日の朝に本人から「今日で抹消なんです。」とLINEが。。。残念。

まあ、また一軍に上がってくるの、待ってるよ。頑張れ!

試合は、広島ファンの人には申し訳ないけど、こんなのは久しぶり!というくらいスカッとした阪神の勝利を見届ける。

本当に観戦に行って阪神が勝利したのは何年ぶりだろう。。3年は経っているかも。。。前回勝利した試合の記憶がないくらい久しぶりだ。

試合後、梅田に移動して僕が時々行くバーでKB君と祝杯をあげる。

話し込んでいると、薄暗い地下のバーの中で映し出されるテレビ画面に、あと数分後に訪れる令和時代の話題でもちきりだ。

街はまるで大晦日みたい。

そんな時、平成が終わる1分前に僕が小腹が減ったと店主にお願いしてた「たこ焼き」の出前が届く。

平成終了30秒前にたこ焼きを食べ始める。

うん、、うまい。。深夜の「たこ焼き」は格別だ。

そして、平成終了と令和の始まりの瞬間、僕はずっと「たこ焼き」を口にほうばったまま。

なんと、、僕を二つの時代を繋ぎあわせたものは、、、意外にも大阪名物の「たこ焼き」だった。

そんなの、予想だにしてなかったわ。

で、、その日は酔っ払って帰宅。


翌朝、テレビで新天皇の儀式を見届けてから、小雨降りしきる中、大阪天満宮へ。

雨の割に人出が多い。。

お参りしておみくじ引いて、最後に無料で配布していた大阪天満宮の境内にある井戸水のペットボトルをもらって帰る。

これにて、僕の新元号を祝う儀式はおしまい。

さて、また明日から頑張ろう。







2019.04.28

新しい趣味。。

以前にもブログに書いたことがあるが、僕は活字を読むのが嫌いだ。

子供の頃から読書なるものを趣味として捉えたことは一度もない。

大人になっても新聞は見出ししか読まなかったし、書類も許されるならば要約された箇所だけを読むことを好んだ。

そんな僕がM&Aの契約を弁護士と一緒になって交渉し、度重なる修正版をレビューするという作業が、如何に苦痛であったか、、きっとお分かり頂けるであろう。

今にして思えば、よくやっていたと我ながら思う。

いや、よくやったと振り返る今を思えば、その仕事が長続きしなかったことに不思議はない。

まあ、、嫌なものは長続きはしない、、というシンプルな哲学だ。

ところで、僕は活字は嫌いだったけど、漫画となれば話は別だった。

子供の頃からコミック本は暇さえあれば読んでいたし、大学生時代の弄ぶくらいにあった時間を潰すことができたのも漫画のおかげだ。

そして、大人になってからも漫画雑誌をこよなく愛した時期が長かった。

ニューヨークで過ごした20歳代は、日本語を話すことはあっても読んだり書いたりする機会は殆どなかったので、いつも日本語に飢えていた。

だから、当時愛読していた「ビックコミックスピリッツ」の発売日ともなると、仕事終わりに早足で5番街近くの紀伊国屋まで歩いて買いに行き、待ちきれず帰りの地下鉄の中でワクワクしながら読んだものだ。

ニューヨークの紀伊国屋で売られてる漫画の週刊誌は、日本で売られている値段のおそらく倍以上したであろう。

当時の貧乏生活の中では相応の負担にはなったが、それが僕にとっては数少ない娯楽の一つだったのは間違く買うことに躊躇することはなかった。

30歳を前に日本に帰国してからは、他にもっと楽しい娯楽がいっぱいあったからか、いつのまにかあれだけ愛読していた漫画さえも読まなくなった。

雑誌も、新聞も、小説も読まない。

書類も、、出来るだけ読まない。。

僕はいつしか仕事で必要とされる最低限のレベルを維持する程度に、活字とは完全に距離を置いた人生を送ることになった。



そんな生活が20年近く続いただろうか。。

去年の春先に曲がぱったりと書けなくなった時に、プロデューサーの安藤さんから小説を読むことを勧められた。小説だけでなく映画や演劇、たくさんのアーティストのライブを観劇することも含めて、だ。

手っ取り早く始めることができたのが読書だった。

勧められた村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」から読み始めることにした。

「さらっと読めるよ」と言われたわずか160ページの小説本を読むことが、読書に慣れていない僕にとっては、長い長い坂道を少しずつ登っていくような、、決して楽ではない、どちらかと言えば苦痛を伴う作業に思えた。

地下鉄の窓ガラスに映るつり革につかまりながら単行本を読む自分の姿に違和感を覚えた。。

それは、昔の僕には考えられない光景だった。

何日要したかは覚えていないが、「風の歌を聴け」を読み終えた。。

とても心に残る作品だったので、その後は次から次へと村上春樹の単行本を買ってきては地下鉄や新幹線で読むようになった。

「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険(上)(下)」「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(上)(下)」「ノルウェイの森(上)(下)」「ダンス・ダンス・ダンス(上)(下)」「国境の南、太陽の西」「ねじまき鳥クロニクル(第1〜3部)」「スプートニクの恋人」と、数えてみれば9作品15冊の単行本を読んだことになる。

読書好きの人には、大したことのない数かもしれないが、僕にとっては想像以上に沢山の本を読んだ気分だ。

「ねじまき鳥クロニクル」は、第1部から第3部までの三部作だが、第3部だけでも600ページもあった。

今にして思えば、「風の歌を聴け」の160ページを数週間もかけて読んだ自分が実に初々しい。

そして、今月から「海辺のカフカ」を読み始めた。

村上春樹以外には、レイモンド・チャンドラーの「さらば愛しき人よ」を読んだだけだ。

特に村上春樹の小説にこんなにハマるとは思いもしなかった。

ハルキストの方々からはたかだか一年くらい読んだくらいで、、と怒られるかもしれないけど、戦争時代の悲惨な状況の描写、人間の心の弱さや逞しさと言った心理を描いた繊細な表現、大人のドロドロとした人間関係といったものから、もっと大きな社会経済、政治的な問題提起や時空を超えた人々の存在意義など、普段考えることがないような事物について立体的に考えさせられることが、とても面白いと感じている。

なんというか、一冊読んだ後、しばらくの間、その小説から伝わるメッセージとその意味するところの本質を自分なりに捉えたくて、あれこれ答えを探している自分がいる。それが余韻というものなんだろう。

言ってみれば、そういう余韻を楽しむのが読書の面白いところだと思うようになったし、その余韻欲しさにページをめくり、最後まで読み切ってしまうのだと。。

まあ、今一緒にラジオをやっているのはBrian the Sunのベースのハルキだし、それ以外にも角川春樹さんや、昔阪神にいて西武に移籍した吉武春樹選手、テレビでよく見ていたハルキ・ホーガンと、ハルキという名前には親近感が元々あったからね。

まだまだ村上春樹の読んでいない作品はあるし、、他の作家の小説も少しずつ読んでいきたいと思う平成最後の春なのでした。。。

これはもう、、読書は僕にとって趣味と言っていいでしょう!

。。。。。

。。いや、ハルキ・ホーガン、、スルーしないでね。
2019.04.26

やってきました。。

ついにやって来ました、、10連休。

個人各々が取得する夏休みとか冬休みといった有給休暇を除いて、一斉に金融機関からお役所まで休む休日としては史上最長か。。

僕は元々週末大好き人間。。

そして、祝日大好き人間。。

あ、、みんなそうか。。

数年前までの会社勤めの仕事中心の生活をしていた頃は、毎週毎週とても週末が待ち遠しかった。

週末にキャンプとかゴルフとか釣りとか、犬と一緒にディスク大会に出るために遠征したりとか、、とにかく朝から晩まで遊ぶ事で全てのエネルギーを発散して、ヘロヘロになって月曜日の朝に出社していた。

そして、火曜日から水曜日にかけて体力を少しずつ回復させ、木曜日と金曜日には体調を整えてから再びエネルギー消耗の為の週末に突入する。

そういうサイクルを送っていた。

今考えても、素晴らしいサイクルだった。

ところが、今のような音楽を中心とした生活になってからは、会社勤めの人が感じるほどの平日と週末の境界線がなくなった分、僕にとっての週末・祝日大好き症候群は影を潜めている。

そう言ってしまうと、毎日が週末みたいな悠々自適のような生活を送っているのか、と怒られてしまうかも知れないが、実はそうではない。

毎日が、平日でもなく週末でもない、という表現が正しいだろう。

つまり、曜日感覚が薄いのだ。

これは、社会人としてはあまり喜ばしい事ではない。

かろうじて決まった曜日に開催される会社の会議で曜日感覚を維持しているようなもの。

定年後の人も「Everyday Sunday」と言われるような生活だから、こんな感じなのかな。

土曜日の朝に「おい、いつまで寝てるんだ。学校に遅れるぞ。」と言って孫を起こしてしまうおじいさんのよう。

うう、、そうはなりたくない。

と、言いながら、この時期の僕はちゃっかり曜日感覚を保っている。

そう、、阪神の試合がない日で月曜日と認識。。。

なんちゃって。。

でも、阪神の場合は、オールスター過ぎくらいにはもう優勝の可能性が消えちゃうことが多いから、短い期間しか使えない。。。

まあ、兎にも角にもどうやら僕は定年がない人生を選んでしまったみたいだ。。だから、生涯現役で頑張るしかない。

ずっとずっと、続けること。。

うん、それが大事なんだ。。。何事も。

え、、M&Aの仕事を半分辞めてるお前が言うなって??

はい、すいません!

でも、音楽は、、続けるよ。
2019.04.24

知的で、創造的で、自由な世界。。

就寝するとき、人によって直ぐに寝れる人と、中々寝付けない人がいる。

もちろん、日によって違いはあるのだろうけども、直ぐに寝れるタイプの人は、ほぼ毎日例外なく秒速で寝ることができるという話を聞いたことがある。

若い頃は、そんな人が羨ましかった。

というのも、僕の場合、寝るときに頭の中で色んなことを考え始めると、もしかしたら明け方近くまで起きていたのではないか、というくらい眠れない日が多かった。

実は寝ている時間が一番脳をフル稼働させているのではないか、と思うくらいだ。

思い返せば、その前兆は幼少時代からあったように思う。

子供の頃は、将来のことを案じたり、難しいことを考えるなんてことはないので、寝床について寝るまでの間に僕は楽しい妄想の世界に浸ることにしていた。

多かれ少なかれ、大抵の人は元来妄想癖なるものが備わっているのではないかと思う。

僕がその眠りにつく前に見ていた妄想の世界の舞台は、どこかの中世のヨーロッパの街。

街の北側中央部に大きなお城があって、そのお城の背後にはマッターホルンのような高い山がそびえ立っていた。

そして、お城の南側には街を南北に貫く一本の石畳の道路がまっすぐに伸びていて、そこには、たくさんの人、自動車、馬の往来があった。

そんな街の片隅にあるリキュールを売るお店で僕は子供ながらに働いていた。

何故だかわからないが、数名の学校のクラスメートもその街に暮らしていた。

そんな妄想がそのまま眠りの世界にまで入り込んできて、その中世のヨーロッパの街を舞台にした夢を見ることもあった。

3日続けて、同じシチュエーションの夢を見ることもあった。

そんな幼少時代の経験があるからなのか、僕にとって寝る時間は休む時間ではなく「考える時間」であり「妄想する時間」だった。

その妄想の夢の世界では、普通では考えられないことも出来たし、また何をやっても許された。

背中に生えた翼で空を飛べたし、乗っていた飛行機が墜落したことは何度もある。

拳銃で撃たれたこともあるし、人食い猫に首元をピチャピチャと舐められたことだってあった。

禁煙を始めた頃には、久しぶりのタバコを手にしながら、肺の奥まで思い切り煙を吸い込んでは意志の弱さに落胆した。

その世界は、ある意味究極の自由があり、厳格なルールに束縛されることもなければ、倫理的な理性さえも求められることもない。

まさに誰しもが憧れる「夢の世界」であり、バーチャルリアリティの「究極の自由の世界」でもあるのだ。



それがある時を境に、僕は横になったら秒速で寝てしまうタイプに変わってしまった。

覚えている限りでは、ちょうど35〜36際の頃に会社を共同で設立した頃だ。

人生の中で誰よりも働き、仕事に全力を捧げた頃だ。

日中は止まることなく動き回り、分単位の会議が続いた。

タバコを吸っている時間だけが唯一の休憩時間だった。

そんな生活に身体も心も休息を求めていたんだろうと思う。

それ以来、僕は就寝の際し難しいことを考えることもなく、また、妄想にふけることもないままそのまま眠りに落ちるようになった。

なんとなく夢を見る機会も子供の時よりも減ってきた気もする。



先日のZIP-FMのラジオ番組で、自分の好きなもの、ハマっている事などを紹介する企画がスタートした。

その企画の初回放送で僕が紹介したのは、スマートウォッチだ。

もともとは、携帯電話ではなくいつも身につけることができる万歩計が欲しくて購入したもの。

つい最近始めたばかりだが、それによりとても興味深いデータと向き合うことになった。

それは睡眠に関するデータだ。

個人差はあるらしいが、通常のサイクルとしては眠りについて浅い睡眠から深い睡眠へと移行し、そして浅い睡眠に戻ってからレム睡眠へと移行するらしい。

研究によれば、人はこのレム睡眠のときに夢を見ることが分かっている。

一般的に成人のレム睡眠は、全体睡眠時間の20%程度で、新生児だと約50%がレム睡眠らしい。

成長するにしたがってレム睡眠の比率は下がっていくようだ。

スマートウォッチで計測した睡眠データを見ると、僕の場合レム睡眠は全体の15%を下回っている。

なるほど、、データが示す通り、僕は「究極の自由の世界」から少し遠ざかっているみたいだ。。

残念。。

もし、自分に与えられた時間を、①現実の世界、②レム睡眠の世界、③深い眠りの世界、に自分の意思で自由に振り分けることができるとすれば、、どうだろう。。

痛みや苦痛を伴う現実の世界か、自由な夢の世界か、記憶も何も残らない無の世界か。。。



インターネットで調べていて、こんな記事を目にした。

レム睡眠の時間は、人間にとって最も知的で洞察力に富み、創造的で自由になれる時間。

起きているのは、食べる、子孫を残す、天敵と戦うといった生存に必要な務めを果たすため。

もしかしたら、人はレム睡眠のために生きているのかも知れない、、と。。。

この現実の世界は修行の世界だという人もいるけど、、なんか考えさせられるなあ。
2019.04.21

敗者

試合後の控え室で、タオルを頭から被って椅子に座ったままうな垂れる。

顔はその原型をかろうじて留めてはいるものの、殴られた痕にできたアザで青く腫れていた。

右目の瞼は野球のボールにように大きく膨れ上がり、その視界を完全に塞いでいるようだ。

その姿は、誰がどう見ても、、敗者の姿であった。

初回のラウンドから立て続けにパンチをもらい、3ラウンドまでに合計4度のダウンを奪われた。

アマチュア時代に1試合に2度ダウンを喫した経験はあったが、こんなことは彼にとっては初めての経験だった。

一歩間違えばリングサイドからタオルが投げ入れられてもおかしくはなかったが、規定の8回終了のゴングが鳴るまで彼はリングに立ち続けることができた。

それが、彼にとってこの試合での唯一の救いだったのかも知れないが、勝敗の結果はジャッジペーパーを見るまでもなかった。

鮮やかなKO勝利とまで行かなくとも、持ち前のキレのあるパンチで勝利を期待、いや確信していた観客の頭上には、失望に包まれたため息が大きな塊となっていつまでも留まっていた。

試合終了直後、一体リングの上で何が起きてしまったのか、そして、どうしてこのような結果になってしまったのか、本人には全くわからなかった。

呆然とした頭の中で、試合中に起きたことを振り返ろうとするが、冷静に物事を考えることが出来ない。

いつもはリズムよく繰り出せるパンチも、腕が重く全てのパンチが大振りになってしまう。

大振りのパンチは相手に軽くかわされ、逆に見事なまでのカウンターパンチを見舞われる。

一体、どうしたというのだ。

自分の体が自分のものでないみたいだ。

家に戻り失意のまま眠りについた彼は、翌朝の明け方近くに顔と体の痛みで目を覚ます。

目覚めた瞬間、眠りの世界に一時的に逃避行することで離れていた現実が、否応なく頭の中に蘇ってくる。

そして、昨晩に起きたことを受け入れざるを得ない状況に、心は再び苦悶し始める。

この試合に向けて、目立った減量苦はなかったものの、いつもの試合よりも練習量が足りなかったのは事実だ。

だけど、完全な準備不足というわけではなかったはずだ。

それでも、思い返せばいつもと同じルーチンの中で試合を迎えていなかったことがあった。

試合の数日前に、減量に目処がついた時点で、まだ計量前にもかからず、ジムの会長の目を盗んで、試合前には食べないと約束していたはずのパンケーキを食べてしまったのだ。

そう、パンケーキは彼の大好物なのだ。

街中で「パンケーキ食べたい。」と踊る若者を見て、計量の後、どうしても抑えきれなくなって食べてしまったらしい。

それがどう試合に影響したのかはわからない。

でも、ボクサーの身体はとても敏感だ。

軽量を終えた後、試合開始までに一時的に食事制限が解除されるが、それでも何を食べても良いわけではない。

ここで減量苦から解放されたボクサーが試合前に暴飲暴食してしまい、コンディションを崩して肝心の試合でのパフォーマンスの質を落としてしまうことも多い。

だから、彼の場合も、きちんとしたカロリー計算の下、試合中のスタミナ強化の観点からも食べるものが決められていた。

今回もそれには従ったはずだ。

少なくとも会長の目の行き届く範囲では。

彼は布団の中で思いを巡らせた。

相手が思いのほか強かったのか。。

いや、違う。。。本来ならあの程度のパンチをもらう自分ではない。

ましてや、決してフットワークが軽いとは言えない相手の顔面とボディーに、自分のパンチを当たられないなんて考えられない。

そう考えると、たっぷりの生クリームとイチゴで派手にデコレーションされたパンケーキの影響で、いつもよりも糖度を増した脳が、うまく身体と心をコントロールできなくしてしまったのか。。

いや、そもそもパンケーキを内緒で食べてしまった行為そのものに対して、神様が天罰を下したのかも知れない。。。

それとも、彼にとってのその日は、あらゆる占いで何をやっても上手く行かないことが予め定められていた「特別にツイていない日」だったのかも知れない、とも思った。

そんなことを考えながら、彼は数日間、布団の中で寝たきりのまま過ごした。

ろくに食事も喉を通らなかった。

日中、外は春の陽射しが降り注いでいるというのに、窓はカーテンで閉め切り、部屋は真っ暗のままだった。

そんな春の麗らかな天気とは裏腹に、彼の心の中は、暗い空から降り続ける土砂降りの雨が地面を叩きつけていた。

しばらく、、ずっと、止むことのない雨の中に、、背中を丸めて、、うずくまるように、ただただ時間が過ぎていくことだけを祈っていた。。



数日後の朝、カーテンの隙間から差し込む光で彼は目を覚ました。

どうやら、心の中の土砂降りは止んだようだ。

心の視界を遮っていた濃い霧は少しずつ晴れ、空を覆っていた厚い雲の隙間から一筋の太陽の光が差し込んでいた。

太陽の光は、柔らかかった。

しかし、だからと言って、彼の心の傷が癒えた訳ではない。

彼は布団からフラフラと立ち上がり、カーテンを引き、窓を開け、空気の匂いを嗅いだ。

春の匂いがした。

数日ぶりに吸い込んだ外の空気はとても新鮮だった。

だけど、彼の表情が緩むことは決してなかった。

窓の外を見つめる瞳は、外の景色を見ているようだったが違っていた。

彼の瞳は「とある一点」だけを見つめていた。

その時、彼が見ていた「とある一点」が何であったのかは、彼にしか分からない。

大事なのは、彼の「とある一点」を見つめる視線が、「確固たる決意」を伴って向けられていたものなのかどうか、そして、その先にもたらされるであろう「次の結果」が、彼にとって納得できるものであるかどうか、ということだ。

彼の表情に笑顔が戻る日があるかは、まだ誰もわからないが、今はその「次の結果」を見守るしかないであろう。
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