広島の繁華街、薬研堀の小さなビルにあるスナック。
その店のママは僕の中学時代の同級生だ。
広島を訪れた際、食事の後にちょこっとだけ顔を出す。
もう3年くらい前のこと。たまたま、そのお店に居合わせた江田島市役所の人と話が弾んだ。
「江田島にもっと沢山の人に来てもらいたいんだけど、予算もなくて大変だよ。」
と、その人は話し始めた。
「がんねビーチという砂浜があるんだ。そこを復活させるプロジェクトが立ち上がるかもしれない。」
その人が言った「がんねビーチ」という響きが妙に耳に残った。
調べると、最北端の沖美町の岸根鼻の付け根あたりにあった海水浴場だったらしい。
はるか昔に「がんねムーンビーチ」という名で賑わった風光明媚なビーチだそうだ。
その名前を聞いて、僕はサンフランシスコ郊外にあるハーフムーンベイを思い浮かべた。
海を見下ろす高台に超高級ホテルが建ち、その周りを緑鮮やかな芝と白い砂のバンカーのコントラストが美しいゴルフ場、そして高級別荘が立ち並ぶリゾートだ。
もうずいぶん前だけど、サンフランシスコに出張した週末に一度だけ行った事があって、とても印象に残っている。
まさか江田島にそんな高級リゾートができるなんで想像もつかない。
がんねビーチの復活とは、一体どういう事なんだろう。
僕は、どうしてもがんねビーチをこの目で確かめたくなって、ホテルを飛び出し車を走らせた。
高速道路を経由して、呉に入る。
まだ、あどけなさが残る制服を着た水兵達が歩く街中を抜けると、海には軍艦のような大きな船や、黒い鉄の塊のような潜水艦が数隻浮いているのが見える。
まるで映画で見た世界だ。
倉橋島を走り、早瀬大橋を渡り能美島に上陸。海沿いの道をひたすら進んでいく。
ホテルを出て1時間半が経過した頃、ようやくがんねビーチの近くまでたどり着いた。
ところが、がんねビーチへと続くはずの狭い山道は、途中工事中になっている模様で立入禁止の看板が出てきた。
一体、具体的にどこががんねビーチなのかが、よそ者の僕の目ではよく分からない。
恐らく、突き出た小さな半島に所々見える砂浜が、かつてのがんねムーンビーチと呼ばれている場所だったのだろう。
もちろん海水浴シーズンでもないから人影は見えないのだが、夏になってもそこが賑わうような雰囲気は全く感じられない。
今はもう閉ざされた遊園地のようだ。
その近くに小さな山がある。
日露戦争開戦間近の明治時代、バリチック艦隊の入港を阻止する為に、榴弾砲などが設置された三高山だ。今では、砲台山と呼ぶらしい。
戦争が終わり、高度成長を迎えた昭和の時代。海水浴は、人々にとって最大の夏の娯楽の一つだったに違いない。
家族連れで訪れた子供達の笑い声、付き合い始めたばかりの若い恋人達、孫を見つめる祖父母の微笑ましい笑顔。。。
僕は、朽ち果てた榴弾砲の眼下に広がる美しい砂浜と、その揺れる陽炎の向こうに夏のバカンスを過ごす人々の様々な表情を思い浮かべてみた。
青い空とエメラルドグリーンの海、カラフルなパラソルに流行りの色取り取りの水着姿。
僕の脳裏で、それらの風景がやがてモノクロの景色へと変わっていく。
想像していたハーフムーンベイとは雰囲気が違うけども、海の美しさはそれに引けを取ることはない。
むしろ、この海の方が美しいと思った。
今ではきっと、誰も訪れなくなったがんねムーンビーチも、人びとがバカンスを過ごした時代よりももっともっと昔にあった美しい姿を取り戻しているのだろう。
いつの日か、がんねビーチが復活する日がきた時に、また訪れてみたい。
因みに写真は、がんねビーチの近くにある砂浜。そこで釣りを終えて帰ろうとしていた家族連れに聞いてみた。
「がんねビーチは、どこにあるんですか?」
「がんねビーチ??・・さあ、、、聞いたこともないっすね。」
復活への道のりは長そうだ。
