加藤ヒロ 公式サイト

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2021.09.12

逆チキンタツタ

あれだけ待ち侘びていたはずの東京オリンピック・パラリンピックが終わった。

それと同時に鳴らされたゴングに併せて、水でもかけられたかのように上から目線だった太陽の陽射しは斜に構えるように傾き、その圧は日に日に薄まっていく。

オリンピックの開催に併せて急増していた関東圏の新型コロナウイルスの新規感染者数は軒並み減少へと転じ、予断を許さない状況が続いているものの一時期の悲観的な観測も薄らぎ始めている。

この新規感染者数の減少の理由について、専門家の中でも首を捻る人が多い。

僕の勝手な推測だが、答えは単純で、実はオリンピック熱が冷めただけのことじゃないかと思っている。

オリンピックの開催が原因で新型コロナウイルスの患者数が増えたという分析結果は出ていないが、人間は脆い感情を抱えた生き物だ。

「絶対に感染してはいけない」という状況と「だってオリンピックやってるじゃん」と言い訳出来る状況の差が如実に出ただけのような気がしている。

もちろん、本当のところは分からないし、この夏に感染された方や未だに闘病中の方のことを思えば、ブログの中で易々と記述することではないが。。。

実際、僕の知り合いで会計士の先輩が、8月に新型コロナの感染でお亡くなりになってしまった。

聞かされた時はとてもショックで、暫くは一緒にゴルフしたり、食事したり、共に過ごした楽しかった時間の思い出が頭の中を駆け巡った。

ただただ無念で、ご冥福をお祈りするほかに術はなく、やり切れない気持ちを押し殺す毎日が続いている。

オリンピックが成功だったのか、失敗だったのか、という議論がメディアで出たりしているけど、正直その手の議論には興味が沸かない。

やってよかったか?に対して、一言で片付けられる話ではないことが沢山ありすぎる。

いろんな成功も失敗も混在している。

選手はこの夏の一瞬の輝きのために気が遠くなるくらいの努力を積み重ねてきただろうし、新型コロナだって誰も感染したくて感染しているわけではない。

混在した色んなものを一緒くたにすることは出来ない。


ところで、オリンピックの影響を受けて色んな動きがあると聞く。

巷では、複数のメダルを獲得したスケボー競技の影響を受けて、大人から子供までスケボー教室への申し込みが殺到しているらしい。

僕はと言えば、身近なスポーツの中で影響を受けたとすれば、やはり卓球だろう。

卓球は見ていてもとても面白いと思ったし、勉強にもなった。

ただ、僕にとっての勉強なんてレベルが低すぎる内容だけど。

例えば、サーブは卓球台の外側から打たないといけないことを改めて学んだ上で、「なるほど、卓球台から遠ざけるイメージでトスを上げるのか、、」とか。

もはや小学生の読書感想文でも、もっとまともな感想が書けるだろうと思うくらい稚拙なものだ。

だって、下手をすれば、ネットに思い切り近づいてサーブ打ち始める人とか平気で周りにいるし。

これって、ボーリングで言うところのファウルラインを平気で超えてボールを投げているようなもんでしょ。

そんな中、とある打ち合わせの後、気分転換のため、卓球場に寄ってみる事にした。

人が多かったら止めようとも思ったが、幸いにして人は少ない。

久しぶりの卓球。

もちろん相手はプロデューサーの安藤さん。

安藤さんのサーブ。

いきなり今まで見せたことのないポーズを見せる。

サーブの時、左手の手のひらをお椀型に丸めてボールを優しく乗せている。

「あれ?今までそんなポーズ、一回も見たことないのに。。。」

影響されている!

間違いなくオリンピックの影響だ。。

と、思ったら、おもむろに左手に乗せたボールを軽く揺らしながら「フッ」と息を吹きかける。

ああ、もう完全に影響されている。

そんなこんなで僕のサーブ。

もちろん、僕だって負けていられない。

左の手のひらをお椀型に丸めてボールを優しく乗せ、少し揺らしながら、やはり「フッ」と息を吹きかける。

そして、空中高くトスを上げて、スピンを効かせるようにラケットを横にずらしながらのサーブ!

って、うまくいく訳ないし。

今度は息を飲む壮絶なラリーの応酬。

心の中で叫ぶ!

「よし!逆チキータだ!」

パーン!

出たよ。

本当はチキータさえよく分かってないのに。。

チキータは、どうしても僕の中でチキンタツタにしか思えない卓球用語。

それが、逆チキンタツタって、どういうこと?

そんな訳分からないことばかり考えながらの卓球。

唯一決まった真似ごとは「みまパンチ」だけ。

ストレス発散には、ちょうどいい。
2021.08.21

力を抜くこと

子供の頃からずっとそうだった。

とにかく力を抜く事が苦手だった。

子供頃にアトピー性皮膚炎に苦しんだ。

体がいつも痒くて脱力できないからか、必然的にリラックスする事を知らないまま育った。

野球バットを振る時、ボールを投げる時、走る時、字を書く時、泳ぐ時、いつでも力んでいた。

むしろ、力を入れて歯を食いしばる姿は賞賛されるものだと勘違いしていた。

だから、いつも力んでは歯を食いしばっていた。

若い頃は、力づくで物事を進めても、そこそこに克服できる事が多かった。

それでも、水泳はずっと苦手で今でも泳ぎは得意ではない。

自分は筋肉質だから水に浮きにくいのだと思い込んでいたが、今思えば、力が抜けない体質ならば水に浮くはずもない。

だから、いつもバシャバシャと水を叩いて溺れているようにしか泳げなかった。

力づくで克服できない物事があると自覚したのが、高校時代のそろばんの授業でのこと。

力むと余計な珠に指が触れて上手く行かなかった。

それでも力づくで検定試験をクリアした。

でも、これ以上の級は無理だな、と思った。

力んだらダメなんだという限界を初めて体感した。

以前、あのイチロー選手が言っていた。

「少しでも体が緊張する、つまり力むとパフォーマスは最大限に発揮できない」と。

きっと天才の条件の一つは、無意識に力を抜いてリラックスできる状態でパフォーマンスすることが出来る事なんだろうと思った。

大人になってゴルフを始めた。

レッスンプロの先生に、何度も「力を抜け」と言われた。

「いいですか?あなたはこんな感じで力を入れてますよね。よく見ていてください。僕がやるみたいに、ほら。こうやって力を抜いてスイングしてみてください。」

いろんな先生から、何百回となく同じことを言われた。

ギターを始めてからも、歌を習ってからも、師匠から同じことを言われた。

「こんな感じで弾いてみて。」

何百回も言われた。

でも、”どうあるべきか”は教えてくれても、”どうすればそれができるようになるか”、言い換えれば、”こうすれば力が抜ける”という核心を教えてくれる人はなかった。

それもそのはず。

その答えは、自分で見つける以外にないものだから。

気づけば年齢から言って、僕もとうの昔に大人になっていた。

もう若い頃のように力づくで物事を押し進められることも出来なくなるだろう。

色んな思考錯誤をした。

ある日、数ある先生から言われたことの中に幾つかのヒントが隠されていることに気づいた。

力を抜くためには、逆に力を入れる必要がある、ということ。

言い換えれば、然るべき場所に力を込めることで、初めて不必要な体の部位の力が抜けてリラックス状態を作れるのだ。

これが正解なのかどうなのかは分からない。

でも、自分なりにたどり着いた答え。

力を抜くための答えが、逆に力を入れることにヒントがあったとは、中々面白いと思った。

そういう発想の逆転で常識を疑うことの必要性を感じる。

コロナになってずっと閉じこもり生活をしているからこその気づきだったのかも知れないけど、これで何かが変わることに期待している。

そんな2021年の夏。

僕のプロフィールの特技に、”泳ぐこと”が加わる日が来れば、あながち間違いではないのかも知れない。
2021.07.13

転換点

いつの日か巷で有名な占い師の方に占ってもらう機会があるとするならば、推し量ったかのようにこう言われるかもしれない。

「え〜と、2021年の春から7月頃にかけてですかね。大きな転換、新しいスタート、というのが出ていますね?この時期、何かありましたか?」

まだ人生52年とちょっと過ぎたあたりだけど、この7月は自分でもそうだと認識できるくらい、新しいスタートを迎えることとなった。

会社は3月に辞めたが、契約上の関係が完全に消滅したのは6月末。

つまり、7月1日からは本当の意味でフリーになったわけだ。

去年の暮れ辺りから、検討しては諸般の事情によりリリースの延期を繰り返したニューアルバムは、先日7月7日に無事にリリース日を迎えた。

春先から準備を進めてきた新しい活動のプラットフォームとなる株式会社チェリーズガーデンのHPも7月1日におかげさまでで無事公開となった。

春先に取材を受けた経済誌のインタビュー記事が7月5日に公開され、奇しくも同日にニューアルバムのインタビュー記事が音楽ナタリーに掲載、配信された。

もちろん、このタイミングに合わせて色々と準備を進めてきたのだから当然といえば当然、それだけと言えばそれだけのことだけど。。

もっと言えば、僕自身引っ越しもしてないし、車も変えていない。

体重こそ少し増えたけど、髪型も身長も、女性と食事の好みだって以前と変わらない。

いくら心機一転といったところで、自分自身が何かガラッと変わってしまった訳ではないのだ。

それでも、メガネを新しく買い替え、財布も春先に買っておいた新しい鹿の皮製のものに切り変えた。

うまく言えないけど、自分が変わったというよりも、、自分がもっと変わっていってもいい環境になった、、という感覚の方が近い。

地位とか役職だとか、立場を考えて人目を気にするとか、くだらないプライドに拘るとか、必要以上の雁字搦めのコンプライアンスに縛られるとか、合理性とか損得勘定だとか、そんなことを気にしなくて生きていいんだ、という環境の変化。

これからは、音楽人、自然人、職業人という3本の柱で活動していくことを誓ったばかりだけど、その前提として僕は自由人として生きていいんだ、ということに気づいたということ。

もっと、自由に発言してもいいだろうし、楽しいときは今まで以上に笑ってもいい。

嬉しいときはバンザイして喜んでもいいだろうし、場合によっては多少の馬鹿をやったって許されるかも知れない。

もちろん、人様に迷惑をかけるのはNGだけど。

その延長線上で、今まで一緒に働いていた人たちとも、昔の立場を超えて一人の人間として向き合い、人間味あふれる付き合い方が出来ればいいな、と思う今日この頃。

そんな、、7月に入って2週間が過ぎて、ふと気づいたこと。

こんなことをブログに、、書いていいんだ、という事も。

新しい自分になって、新しい旅を、始めるとするか。。


2021.06.09

田植え

関東平野部に比べると少し遅めの田植え。

長野県蓼科にある「おかげさま農園」さんの所に、田植えのお手伝いに行ってきた。

おかげさま農園は、化学肥料を使わない無農薬野菜の栽培に取り組む農園。

僕が3月頃に篭り場のベランダでプランター菜園を企んでいた時に、無農薬野菜の苗を注文したのがきっかけでお誘い頂いた。

僕も以前から、一度は田植えを経験してみたかったので、「是非喜んで」とお手伝いすることにした。

時期は5月の終わり頃。

予定では明けるはずだった緊急事態宣言が延長となり、県境を越えることに躊躇いはあったが、田植えの時期は待ってくれないし、人出も余るほどいる訳ではなさそうなので、「気にせず来てください」という一言で、感染対策にはくれぐれも気をつけて出かけることにした。

その日は朝から晴れ渡り、初夏の気持ちのいい日差しが降り注ぐ。

新調した長靴で意気揚々と田んぼに入って歩こうとすると、あれ、、足が、、抜けないぞ。。。

思ったよりも田んぼに足を取られて自由が利かない。

下手をするとバランスを崩して尻餅をついてしまいそうだ。

こりゃ、ダメだな。。と早々に長靴を諦めて裸足に。

田んぼの泥にゆっくりと素足のまま足を沈めていくと、少しひんやりする八ヶ岳の雪解け水と、泥の奥深くへとズンズンと沈み込んでいく足先の感覚が何とも言えないくらい気持ちいい。

田んぼの広さは二反ほど。

この日集まったのは、地元の宿泊施設で働く人たちや、おかげさま農園の友人関係を中心に全部で20名ちょっと。

まずは、一人が一列を受け持つ。それでも、列は全部埋まらない。

田んぼの端から端までピンと張った糸を目印に三列に苗を植えていく。

最初は植える間隔もマチマチだったり、まっすぐ一直線上に植えるのが難しかったりしたけど、10分もすれば慣れてきた。

腰も思った程は痛くはならないみたい。

順調に進んで、半分強ほど行ったところでお昼休みに。

青空の下、みんなでおにぎりや豚汁をいただく。

この時、膝まで捲り上げたズボンのせいで、足のスネが日焼けで真っ赤っかに。。

翌日から5日間も湯船に浸かることが出来なかったほど。

お昼休憩を終え、エネルギー補給も終わって、残りの苗を植える。

途中からコツを掴んで僕もペースが上がる。

で、無事に完植!

お風呂に入ってサッパリした後は、おかげさま農園や地元の人たちと交流会も兼ねて宴会に。

でも、コロナに気をつけながらの宴会だから、ちょっとおとなし目。

2日目は、前日の残りの苗を残った5〜6人で植え付け。

で、お昼過ぎには無事に終了!

足の爪の間に入った泥は、お風呂に入っても中々落ちないけど、またやりたい。

疲れたけど、なんとも楽しい田植えの経験でした。

収穫は10月。稲刈りも来れるといいな。







2021.06.03

花酵母パン

子供の頃からパンが大好きだった。

でも、小学生の頃に給食の時に食べたパンは、どこか味気なく、少し塩辛いマーガリンと一緒に牛乳で流し込んだ思い出がある。

僕らの世代は、給食のパンに対してみんな同じようなイメージを持っているのかも知れない。

なぜお米の国であるはずの日本の小学校の給食に毎日毎日パンが出るんだろうと、子供心に思っていたが、その答えが大人になって分かった時、パンと同じ味気なさを覚えたものだ。

先日、ラジオの取材で、ベーカリーイノベーション研究所(BILJ)の代表、田中康之さんの話をお伺いする機会があった。

BILJは、花から採取した酵母を純粋培養する研究を重ねて、その花酵母を用いたパン作りを広めている会社だ。

実際に花酵母で作ったパンを何種類も食べさせてもらったけど、今までに食べたパンとは違う甘味と優しさを感じるパンだ。

時には、自分の抱いていた常識さえも覆すようなパンもある。

例えば、ベーグル 。

ベーグルといえば、ニューヨークに住んでいた頃に、街中のスタンドで買って食べていたお馴染みのパン。

何ともパン生地の密度が濃いというか、実に噛みごたえたっぷりというか、ちょっと古いベーグル はパサパサ感まで加わって、こちらはマーガリンではなくクリームチーズと一緒にCokeで流し込んだものだ。

そんなイメージしかなかったベーグル も、花酵母を使ったベーグル はフワフワ感としっとり感を持ち合わせた食感の、とても美味しいパンだった。

酵母を採取した花の種類によって、パンの味も違ってくるらしい。

日本には各都道府県に県花があるように、その地方地方に根付き、愛されている花がある。

その地域によって、ご当地の花酵母から作られたパンを食べる。

埼玉県川口市の1110 CAFE/Berkeryでは杏、岐阜県飛騨市の自家焙煎珈琲&ブレッドあすなろではマーガレット、同じく岐阜県大垣市のパンカフェみわではヒマワリ。

もしかしたら、家族が好きな花とか、自分の家の庭に咲く花から採取した酵母で作ったパンだって食べられるようになるかも知れない。

とても夢のある話だ。

あの味気ない給食のパンとは正反対のパンの世界。

少しずつだけど、そういう世界が広がっていくことを願う。

美味しいパンは他にも沢山あるかも知れないけど、パン酵母で作ったパンを是非一度味わってみて欲しい。

https://www.bakeryinnovation-lab.com


2021.05.15

水やり花子さん

山小屋の畑で野菜を育てていた頃は、1週間、いや下手すると2週間くらい放っておくこともしばしば。

それでも、追肥が足りなかったり、芽かきをしないことで実の育ちが悪くなることはあったが、水不足で野菜が枯れてしまうなんてことはなかった。

土地柄、元々が湿地帯だったこともあるが、母なる大地の偉大さを感じずにはいられなかった。

ところが、都会の太陽が照りつけるベランダに置いた小さなプランターでは、丸1日水やりを怠るだけで野菜が枯れてしまいそうだ。

買ってきたばかりのエダマメの苗を小さな育苗ポットに入れたまま1日留守にしただけで、次に見たときには、沈む夕陽を浴びながらあっさりと首をもたげてしまっていた。

これはまずい、と急いで水をあげたら翌朝には元気になっていたけど、水やりはプランター栽培にとっては極めて重要なイベントだということに気づかされた。

問題は、僕には東京を離れて数日間、場合によっては1週間以上も篭り場を空けてしまう予定が頻繁にあるということ。

乾燥に比較的強いジャガイモやトマトはまだいいけれど、ナス、エダマメ、甘ナンバン、カボチャにとっては、さすがに連日の土の乾燥は致命的だ。

不在時に東京暮らしを始めたハルキ君に水やりを頼めればいいけど、そういう訳にはいかないし、、頭を悩ませた結果、かなり前に山小屋の芝生を育てる時に使ったのことがある自動水やり機のことを思い出した。

水やりをしたい時間帯を曜日別にセットできるという優れものだ。

篭り場のベランダには水道がないから、留守にするときプランターを部屋の中に入れれば、、、うん、自動水やり機も使えるな!と、意を決して新品を購入。

ところが、僕の篭り場。。。。事務所兼スタジオと言ってしまえば格好いいが、単なる防音マンションの一室に過ぎない。

台所、洗面所、お風呂場、、、自動水やり機のホースを連結するニップルを取り付けられる蛇口が一つもない。

そういうご家庭のためにニップルを取り付けることができるアタッチメントがあるというのでこちらも購入。

手元に届いて早速取り付けるが、、、あれ??サイズが合わない。。。

さて、困ったぞ。。

さらにネットでこういう場合の対処法について調査を続ける。

すると、ベランダに水道も電気もないご家庭にうってつけの秘密兵器を発見!

その名も「水やり花子さん」。

大きめのタンクに水を溜めておけば、搭載する太陽電池で水やり機能を自動で駆動させることができるらしい。

数日間もタンクに溜めたままの水をやるのはちょっと気がひけるが、2〜3日の話なら野菜の延命措置だと思えば許容範囲か。。

と、水やり花子さんを購入!

さあ、準備万端で大阪でのスタジオリハと名古屋でのラジオ収録に備える。

と、思ってたら緊急事態宣言の延長のため全ての出張が中止に。。

梅雨の走りっぽい天気も続きそうだし、、、水やり花子さんが活躍する季節は、もうちょい先になりそう。

期待してまっせ!
2021.04.28

がんねムーンビーチ

広島の繁華街、薬研堀の小さなビルにあるスナック。

その店のママは僕の中学時代の同級生だ。

広島を訪れた際、食事の後にちょこっとだけ顔を出す。

もう3年くらい前のこと。たまたま、そのお店に居合わせた江田島市役所の人と話が弾んだ。

「江田島にもっと沢山の人に来てもらいたいんだけど、予算もなくて大変だよ。」

と、その人は話し始めた。

「がんねビーチという砂浜があるんだ。そこを復活させるプロジェクトが立ち上がるかもしれない。」

その人が言った「がんねビーチ」という響きが妙に耳に残った。

調べると、最北端の沖美町の岸根鼻の付け根あたりにあった海水浴場だったらしい。

はるか昔に「がんねムーンビーチ」という名で賑わった風光明媚なビーチだそうだ。

その名前を聞いて、僕はサンフランシスコ郊外にあるハーフムーンベイを思い浮かべた。

海を見下ろす高台に超高級ホテルが建ち、その周りを緑鮮やかな芝と白い砂のバンカーのコントラストが美しいゴルフ場、そして高級別荘が立ち並ぶリゾートだ。

もうずいぶん前だけど、サンフランシスコに出張した週末に一度だけ行った事があって、とても印象に残っている。

まさか江田島にそんな高級リゾートができるなんで想像もつかない。

がんねビーチの復活とは、一体どういう事なんだろう。

僕は、どうしてもがんねビーチをこの目で確かめたくなって、ホテルを飛び出し車を走らせた。

高速道路を経由して、呉に入る。

まだ、あどけなさが残る制服を着た水兵達が歩く街中を抜けると、海には軍艦のような大きな船や、黒い鉄の塊のような潜水艦が数隻浮いているのが見える。

まるで映画で見た世界だ。

倉橋島を走り、早瀬大橋を渡り能美島に上陸。海沿いの道をひたすら進んでいく。

ホテルを出て1時間半が経過した頃、ようやくがんねビーチの近くまでたどり着いた。

ところが、がんねビーチへと続くはずの狭い山道は、途中工事中になっている模様で立入禁止の看板が出てきた。

一体、具体的にどこががんねビーチなのかが、よそ者の僕の目ではよく分からない。

恐らく、突き出た小さな半島に所々見える砂浜が、かつてのがんねムーンビーチと呼ばれている場所だったのだろう。

もちろん海水浴シーズンでもないから人影は見えないのだが、夏になってもそこが賑わうような雰囲気は全く感じられない。

今はもう閉ざされた遊園地のようだ。

その近くに小さな山がある。

日露戦争開戦間近の明治時代、バリチック艦隊の入港を阻止する為に、榴弾砲などが設置された三高山だ。今では、砲台山と呼ぶらしい。

戦争が終わり、高度成長を迎えた昭和の時代。海水浴は、人々にとって最大の夏の娯楽の一つだったに違いない。

家族連れで訪れた子供達の笑い声、付き合い始めたばかりの若い恋人達、孫を見つめる祖父母の微笑ましい笑顔。。。

僕は、朽ち果てた榴弾砲の眼下に広がる美しい砂浜と、その揺れる陽炎の向こうに夏のバカンスを過ごす人々の様々な表情を思い浮かべてみた。

青い空とエメラルドグリーンの海、カラフルなパラソルに流行りの色取り取りの水着姿。

僕の脳裏で、それらの風景がやがてモノクロの景色へと変わっていく。

想像していたハーフムーンベイとは雰囲気が違うけども、海の美しさはそれに引けを取ることはない。

むしろ、この海の方が美しいと思った。

今ではきっと、誰も訪れなくなったがんねムーンビーチも、人びとがバカンスを過ごした時代よりももっともっと昔にあった美しい姿を取り戻しているのだろう。

いつの日か、がんねビーチが復活する日がきた時に、また訪れてみたい。

因みに写真は、がんねビーチの近くにある砂浜。そこで釣りを終えて帰ろうとしていた家族連れに聞いてみた。

「がんねビーチは、どこにあるんですか?」

「がんねビーチ??・・さあ、、、聞いたこともないっすね。」

復活への道のりは長そうだ。
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