加藤ヒロ 公式サイト

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2021.11.29

八ヶ岳キャンパス

11月、農地法第3条の手続きを終え、無事に八ヶ岳南麓にある広さ4反の農地を取得することが出来た。

農地は個人として所有することになる。それをチェリーズガーデンで借り受ける形で農業を営む予定。

早速、小麦の播種の計画を立てるも、あいにくの天気が続き一旦延期。

改めてリリースツアーの地方公演後に仕切り直しとなり、先日朝から粉雪が舞う散る寒空の下、無事に小麦の播種が終了。

本当はグルテンの濃度が低い古代スペルト小麦の種を沢山撒きたかったけど、パン用、うどん用など全部で4種類の小麦の種を撒き終えることが出来た。

僕の農業の先生でもある「自給農園めぐみの」の湯本さんの指導の下、僕も生まれて初めてトラクターを運転。とても楽しい。

タイミングを合わせるように、いよいよ農地の隣にあるカラマツ 林の伐採も始まった。

あれよあれよという間に土の地肌が現れた。まだまだ伐採は続き、整理まで終えるには年内いっぱいはかかりそうだ。

ここには、社屋兼住居と立派な倉庫を建築することになる。

東南方向には遠く富士山を望み、南西方向には甲斐駒ヶ岳擁する南アルプスがそびえ立つ。そして北方の背後には八ヶ岳。

改めて感じる自然の雄大さ。本当に人間なんてちっぽけな存在だ。

ここで色んなことを学ぼう。

太陽、風、土、草、花、鳥、虫、森、林、小川、雪。。。

分からない事があれば、身の回りにある全てのものを見て、観察し、耳を澄まし、手で触り、匂いを嗅いでみよう。

きっと僕に人生の色んなヒントを教えてくれる。

だから、この場所を「チェリーズガーデン八ヶ岳キャンパス」と名付けることにしよう。

身の回りの全てが先生になる。僕は一人のちっぽけな 生徒でしかない。

入学式は、来春だ。

準備を進めて行こう。

軽トラック、トラクター、チェーンソー、薪割り用の斧、草刈機、その他沢山の農機具や道具。。。

春が、待ち遠しい。




2021.10.26

秋へ

その亡骸は、しばらく鍵盤の上のままだった。

死ぬ間際に最後の力を振り絞って僕の指につかまり、そこからそっと置かれたままの姿勢のままだ。

数日後、僕は彼を拾い上げ、ベランダのプランターに埋めてあげることにした。


気がつけば季節は10月の下旬になり、街は急ぎ足で秋を深めていこうとしている。

ラジオの収録のために名古屋に行ったり、八ヶ岳に行ったり、ショベルカーの技術講習を受けたりと忙しい日々が続いた。

そして、まだまだ先のことだと思っていた映画の撮影が始まった。

劇場版「TOKYO Yancha BOYS」という映画だ。

舞台で何度か演じた役だが、改めて映画用に台本が書き直され、それに伴い僕のセリフも少しだけ変わっていた。

映画撮影は、去年の夏の「渋谷行進曲」以来だと思い込んいたが、よく考えると、今年の4月に一つ映画の撮影に参加している。

来年公開の映画だ。

その時、ロケ地となったライブハウスに僕は電動アシスト付自転車に乗っていった。

まだ買って2ヶ月も経っていない新車だった。

春爛漫の日差しの中で、一番気持ちのいいサイクリングだった。

ロケが終わって駐輪場に戻った時には、僕の自転車はその姿を消していた。

警察に盗難届を出したが、きっと僕の元には戻ってこないだろう。

保険を使って買い換える気分にはならなかった。

この時の出来事は、僕の中で消し去りたい記憶の引き出しへと仕舞い込まれたようだ。

そして、その時の映画の撮影自体も僕の記憶の中で一緒に消されてしまいかけていたのだろう。

今でも車のフロントガラス越しに黄色い自転車を見かけると、目を凝らしてその車種を確認してしまう。

忘れたつもりでも、やっぱり忘れられていない。

なんか昔の恋人に似た人を、偶然見かけた場面に似ている。

まさに映画のようだ。

残念ながら、僕が乗っていた自転車と同種のもの一度たりとも見ていない。


数日間空けた籠り場に戻ってきて机に座る。

するとパソコンの画面の裏側にモゾモゾと動く小さな生物を見つけた。

ハエ取り蜘蛛だ。

あの死んだスパイダーの子供なのか。

それ以来、ほぼ毎日僕の目の前に現れている。

アンプのスピーカーの縁、白い壁の上、電灯の下。

あの死んだスパイダーと同じだ。

夏の終わりに痛めた左腕はまだ痛みを感じていたが、八ヶ岳での農作業や力仕事をこなすうちに、リハビリ効果があったのか、少しずつその痛みも薄れてきた。

まもなく季節は本格的な秋に入る。

明日は僕にとってこの映画の最後の撮影日だ。

新しい彼も、あと数週間で死んでしまうだろう。

良い事があれば悪い事もある。

どう足掻いても、時間は進んでゆく。

気づかないくらい、ゆっくりと。
2021.10.03

スパイダー

9月の中旬頃からだろうか。

僕の籠り場でちょくちょく小さなハエ取り蜘蛛を見かけるようになった。

PC画面に向かっていると白い壁を這いずり回っている姿が目に入ったり、窓を開けようとしたらカーテンの上を探検中だったり。

もう2年くらい前のこと。

キッチンへと続くドアを開けた際に、床につくドアの開閉痕に、微かな血の痕を見つけた。

僕はその頃部屋の中で見かけたばかりの小さなハエ取り蜘蛛を殺してしまったことに気づいた。

こんな小さなハエ取り蜘蛛にも赤い血は通っている。

その時の罪悪感が蘇る。


いつもなら捕まえて外に逃がしてやるのだが、過去の罪悪感もあってか、今回はドアの開閉に注意しながら彼のことをそのまま放置することにした。

狭い部屋だ。ほぼ毎日数回は僕の視界に入ってくる。

僕がレコーディングの練習で歌を歌っているとき。

鍵盤を弾いているとき。

Zoom会議をしているとき。

日に日に彼に対する愛着と親近感は強まっていった。


今年の9月は、僕にとっては何とも言えない「音のない1ヶ月」だった。

ちょうど9月の初め頃、バレーコード(人差し指で複数の同じフレットの弦を押さえるコードのこと)を弾きすぎてしまい、左手を痛めてしまった。

結果として、ここ丸々1ヶ月間ギターを弾いていない。

最初は「また腱鞘炎の一歩手前の症状か。。」くらいに思っていたのだが、痛みが日に日に増していく。

どうやら左の腕全体、手首、肘、肩にかけての筋肉なのか、関節なのか、筋なのかわからないが、複数箇所痛めてしまったようだ。

具体的にここが痛い、というのが自分でもわからない。

左手でコーヒカップを持ち上げたり、ペットボトルのキャップを回すことも出来ない。

経験上1週間もすれば治るだろうとタカを括っていたが、1週間経っても10日経っても一向に良くなる気配を見せない。

さすがに不安にな理、整形外科に行って診てもらう。

「オーバーユース症候群ですね。骨は異常ないので、しばらく使わないでリハビリに通ってください。」とのこと。

靭帯とか骨に異常がないということで少しは安心したが、しばらくはギターを弾くことはおろか、ギターを左手で持つ事さえ出来ない日が続いた。

ギターは弾けないけど、キーボードであればそれほど痛みを感じる事なく弾くことが出来た。

僕は鬱憤を晴らすようにキーボードを弾きまくった。

これがよくなかった。

慣れないキーボードを長時間弾いたため、左腕の違う箇所までさらに痛めてしまった。

それからは楽器を一切触らない日々が続いた。

2週間が経った頃、少し光が見え始める。

コーヒーカップを持ち上げて、ペットボトルのキャップを回すことは問題なく出来るようになった。

そして、少しずつ無理のない範囲で左手に負担がかからないエレキギターでリハビリを開始することにした。

優しく、そっと弦に触れるように。

もう、以前にように弦をグッと力ずくで押さえることはしないし、その必要もない。

暦は10月へと変わり、まだ長時間ギターを弾くことは出来ないが、少しずつ以前の生活に戻り始めている。


そんな朝からよく晴れた日曜日。

いつものように籠り場に着くと、フローリング床の上で小さくうずくまる黒い小さな塊を見つける。

近づいてみるとよく見てみると、あのハエ取り蜘蛛の彼が仰向けになっているではないか。

息を吹きかけてみると、微かに生体反応がある。

彼の8本の足に人差し指を触れてみる。

すると彼はそれを待っていたかのように僕の指に捕まり、僕の指の上をわずかに徘徊した。

しかし、もうそれ以上動き回る力は残っていない。

僕は彼をそっとキーボードの鍵盤の上に置いた。

それから、ジッとしたままそこを動かない。

きっと、このまま彼は息絶えていくのだろう。

そのまま彼を見守ることにした。

僕は、スピッツの「スパイダー」をかけた。

イントロで小気味の良いアコースティックギターのストロークが鳴り響く。

短い彼との共同生活。

音のない9月を共に過ごした。

潤む瞳で彼を見つめる。

そして大粒の涙がこぼれた。

いつかまた夏の終わりが来たら、痛めた左腕のこと、音のないこの1ヶ月のこと、そして、部屋の隅で僕のことをそっと見つめていた彼のことを、僕は思い出すのだろう。
2021.09.12

逆チキンタツタ

あれだけ待ち侘びていたはずの東京オリンピック・パラリンピックが終わった。

それと同時に鳴らされたゴングに併せて、水でもかけられたかのように上から目線だった太陽の陽射しは斜に構えるように傾き、その圧は日に日に薄まっていく。

オリンピックの開催に併せて急増していた関東圏の新型コロナウイルスの新規感染者数は軒並み減少へと転じ、予断を許さない状況が続いているものの一時期の悲観的な観測も薄らぎ始めている。

この新規感染者数の減少の理由について、専門家の中でも首を捻る人が多い。

僕の勝手な推測だが、答えは単純で、実はオリンピック熱が冷めただけのことじゃないかと思っている。

オリンピックの開催が原因で新型コロナウイルスの患者数が増えたという分析結果は出ていないが、人間は脆い感情を抱えた生き物だ。

「絶対に感染してはいけない」という状況と「だってオリンピックやってるじゃん」と言い訳出来る状況の差が如実に出ただけのような気がしている。

もちろん、本当のところは分からないし、この夏に感染された方や未だに闘病中の方のことを思えば、ブログの中で易々と記述することではないが。。。

実際、僕の知り合いで会計士の先輩が、8月に新型コロナの感染でお亡くなりになってしまった。

聞かされた時はとてもショックで、暫くは一緒にゴルフしたり、食事したり、共に過ごした楽しかった時間の思い出が頭の中を駆け巡った。

ただただ無念で、ご冥福をお祈りするほかに術はなく、やり切れない気持ちを押し殺す毎日が続いている。

オリンピックが成功だったのか、失敗だったのか、という議論がメディアで出たりしているけど、正直その手の議論には興味が沸かない。

やってよかったか?に対して、一言で片付けられる話ではないことが沢山ありすぎる。

いろんな成功も失敗も混在している。

選手はこの夏の一瞬の輝きのために気が遠くなるくらいの努力を積み重ねてきただろうし、新型コロナだって誰も感染したくて感染しているわけではない。

混在した色んなものを一緒くたにすることは出来ない。


ところで、オリンピックの影響を受けて色んな動きがあると聞く。

巷では、複数のメダルを獲得したスケボー競技の影響を受けて、大人から子供までスケボー教室への申し込みが殺到しているらしい。

僕はと言えば、身近なスポーツの中で影響を受けたとすれば、やはり卓球だろう。

卓球は見ていてもとても面白いと思ったし、勉強にもなった。

ただ、僕にとっての勉強なんてレベルが低すぎる内容だけど。

例えば、サーブは卓球台の外側から打たないといけないことを改めて学んだ上で、「なるほど、卓球台から遠ざけるイメージでトスを上げるのか、、」とか。

もはや小学生の読書感想文でも、もっとまともな感想が書けるだろうと思うくらい稚拙なものだ。

だって、下手をすれば、ネットに思い切り近づいてサーブ打ち始める人とか平気で周りにいるし。

これって、ボーリングで言うところのファウルラインを平気で超えてボールを投げているようなもんでしょ。

そんな中、とある打ち合わせの後、気分転換のため、卓球場に寄ってみる事にした。

人が多かったら止めようとも思ったが、幸いにして人は少ない。

久しぶりの卓球。

もちろん相手はプロデューサーの安藤さん。

安藤さんのサーブ。

いきなり今まで見せたことのないポーズを見せる。

サーブの時、左手の手のひらをお椀型に丸めてボールを優しく乗せている。

「あれ?今までそんなポーズ、一回も見たことないのに。。。」

影響されている!

間違いなくオリンピックの影響だ。。

と、思ったら、おもむろに左手に乗せたボールを軽く揺らしながら「フッ」と息を吹きかける。

ああ、もう完全に影響されている。

そんなこんなで僕のサーブ。

もちろん、僕だって負けていられない。

左の手のひらをお椀型に丸めてボールを優しく乗せ、少し揺らしながら、やはり「フッ」と息を吹きかける。

そして、空中高くトスを上げて、スピンを効かせるようにラケットを横にずらしながらのサーブ!

って、うまくいく訳ないし。

今度は息を飲む壮絶なラリーの応酬。

心の中で叫ぶ!

「よし!逆チキータだ!」

パーン!

出たよ。

本当はチキータさえよく分かってないのに。。

チキータは、どうしても僕の中でチキンタツタにしか思えない卓球用語。

それが、逆チキンタツタって、どういうこと?

そんな訳分からないことばかり考えながらの卓球。

唯一決まった真似ごとは「みまパンチ」だけ。

ストレス発散には、ちょうどいい。
2021.08.21

力を抜くこと

子供の頃からずっとそうだった。

とにかく力を抜く事が苦手だった。

子供頃にアトピー性皮膚炎に苦しんだ。

体がいつも痒くて脱力できないからか、必然的にリラックスする事を知らないまま育った。

野球バットを振る時、ボールを投げる時、走る時、字を書く時、泳ぐ時、いつでも力んでいた。

むしろ、力を入れて歯を食いしばる姿は賞賛されるものだと勘違いしていた。

だから、いつも力んでは歯を食いしばっていた。

若い頃は、力づくで物事を進めても、そこそこに克服できる事が多かった。

それでも、水泳はずっと苦手で今でも泳ぎは得意ではない。

自分は筋肉質だから水に浮きにくいのだと思い込んでいたが、今思えば、力が抜けない体質ならば水に浮くはずもない。

だから、いつもバシャバシャと水を叩いて溺れているようにしか泳げなかった。

力づくで克服できない物事があると自覚したのが、高校時代のそろばんの授業でのこと。

力むと余計な珠に指が触れて上手く行かなかった。

それでも力づくで検定試験をクリアした。

でも、これ以上の級は無理だな、と思った。

力んだらダメなんだという限界を初めて体感した。

以前、あのイチロー選手が言っていた。

「少しでも体が緊張する、つまり力むとパフォーマスは最大限に発揮できない」と。

きっと天才の条件の一つは、無意識に力を抜いてリラックスできる状態でパフォーマンスすることが出来る事なんだろうと思った。

大人になってゴルフを始めた。

レッスンプロの先生に、何度も「力を抜け」と言われた。

「いいですか?あなたはこんな感じで力を入れてますよね。よく見ていてください。僕がやるみたいに、ほら。こうやって力を抜いてスイングしてみてください。」

いろんな先生から、何百回となく同じことを言われた。

ギターを始めてからも、歌を習ってからも、師匠から同じことを言われた。

「こんな感じで弾いてみて。」

何百回も言われた。

でも、”どうあるべきか”は教えてくれても、”どうすればそれができるようになるか”、言い換えれば、”こうすれば力が抜ける”という核心を教えてくれる人はなかった。

それもそのはず。

その答えは、自分で見つける以外にないものだから。

気づけば年齢から言って、僕もとうの昔に大人になっていた。

もう若い頃のように力づくで物事を押し進められることも出来なくなるだろう。

色んな思考錯誤をした。

ある日、数ある先生から言われたことの中に幾つかのヒントが隠されていることに気づいた。

力を抜くためには、逆に力を入れる必要がある、ということ。

言い換えれば、然るべき場所に力を込めることで、初めて不必要な体の部位の力が抜けてリラックス状態を作れるのだ。

これが正解なのかどうなのかは分からない。

でも、自分なりにたどり着いた答え。

力を抜くための答えが、逆に力を入れることにヒントがあったとは、中々面白いと思った。

そういう発想の逆転で常識を疑うことの必要性を感じる。

コロナになってずっと閉じこもり生活をしているからこその気づきだったのかも知れないけど、これで何かが変わることに期待している。

そんな2021年の夏。

僕のプロフィールの特技に、”泳ぐこと”が加わる日が来れば、あながち間違いではないのかも知れない。
2021.07.13

転換点

いつの日か巷で有名な占い師の方に占ってもらう機会があるとするならば、推し量ったかのようにこう言われるかもしれない。

「え〜と、2021年の春から7月頃にかけてですかね。大きな転換、新しいスタート、というのが出ていますね?この時期、何かありましたか?」

まだ人生52年とちょっと過ぎたあたりだけど、この7月は自分でもそうだと認識できるくらい、新しいスタートを迎えることとなった。

会社は3月に辞めたが、契約上の関係が完全に消滅したのは6月末。

つまり、7月1日からは本当の意味でフリーになったわけだ。

去年の暮れ辺りから、検討しては諸般の事情によりリリースの延期を繰り返したニューアルバムは、先日7月7日に無事にリリース日を迎えた。

春先から準備を進めてきた新しい活動のプラットフォームとなる株式会社チェリーズガーデンのHPも7月1日におかげさまでで無事公開となった。

春先に取材を受けた経済誌のインタビュー記事が7月5日に公開され、奇しくも同日にニューアルバムのインタビュー記事が音楽ナタリーに掲載、配信された。

もちろん、このタイミングに合わせて色々と準備を進めてきたのだから当然といえば当然、それだけと言えばそれだけのことだけど。。

もっと言えば、僕自身引っ越しもしてないし、車も変えていない。

体重こそ少し増えたけど、髪型も身長も、女性と食事の好みだって以前と変わらない。

いくら心機一転といったところで、自分自身が何かガラッと変わってしまった訳ではないのだ。

それでも、メガネを新しく買い替え、財布も春先に買っておいた新しい鹿の皮製のものに切り変えた。

うまく言えないけど、自分が変わったというよりも、、自分がもっと変わっていってもいい環境になった、、という感覚の方が近い。

地位とか役職だとか、立場を考えて人目を気にするとか、くだらないプライドに拘るとか、必要以上の雁字搦めのコンプライアンスに縛られるとか、合理性とか損得勘定だとか、そんなことを気にしなくて生きていいんだ、という環境の変化。

これからは、音楽人、自然人、職業人という3本の柱で活動していくことを誓ったばかりだけど、その前提として僕は自由人として生きていいんだ、ということに気づいたということ。

もっと、自由に発言してもいいだろうし、楽しいときは今まで以上に笑ってもいい。

嬉しいときはバンザイして喜んでもいいだろうし、場合によっては多少の馬鹿をやったって許されるかも知れない。

もちろん、人様に迷惑をかけるのはNGだけど。

その延長線上で、今まで一緒に働いていた人たちとも、昔の立場を超えて一人の人間として向き合い、人間味あふれる付き合い方が出来ればいいな、と思う今日この頃。

そんな、、7月に入って2週間が過ぎて、ふと気づいたこと。

こんなことをブログに、、書いていいんだ、という事も。

新しい自分になって、新しい旅を、始めるとするか。。


2021.06.09

田植え

関東平野部に比べると少し遅めの田植え。

長野県蓼科にある「おかげさま農園」さんの所に、田植えのお手伝いに行ってきた。

おかげさま農園は、化学肥料を使わない無農薬野菜の栽培に取り組む農園。

僕が3月頃に篭り場のベランダでプランター菜園を企んでいた時に、無農薬野菜の苗を注文したのがきっかけでお誘い頂いた。

僕も以前から、一度は田植えを経験してみたかったので、「是非喜んで」とお手伝いすることにした。

時期は5月の終わり頃。

予定では明けるはずだった緊急事態宣言が延長となり、県境を越えることに躊躇いはあったが、田植えの時期は待ってくれないし、人出も余るほどいる訳ではなさそうなので、「気にせず来てください」という一言で、感染対策にはくれぐれも気をつけて出かけることにした。

その日は朝から晴れ渡り、初夏の気持ちのいい日差しが降り注ぐ。

新調した長靴で意気揚々と田んぼに入って歩こうとすると、あれ、、足が、、抜けないぞ。。。

思ったよりも田んぼに足を取られて自由が利かない。

下手をするとバランスを崩して尻餅をついてしまいそうだ。

こりゃ、ダメだな。。と早々に長靴を諦めて裸足に。

田んぼの泥にゆっくりと素足のまま足を沈めていくと、少しひんやりする八ヶ岳の雪解け水と、泥の奥深くへとズンズンと沈み込んでいく足先の感覚が何とも言えないくらい気持ちいい。

田んぼの広さは二反ほど。

この日集まったのは、地元の宿泊施設で働く人たちや、おかげさま農園の友人関係を中心に全部で20名ちょっと。

まずは、一人が一列を受け持つ。それでも、列は全部埋まらない。

田んぼの端から端までピンと張った糸を目印に三列に苗を植えていく。

最初は植える間隔もマチマチだったり、まっすぐ一直線上に植えるのが難しかったりしたけど、10分もすれば慣れてきた。

腰も思った程は痛くはならないみたい。

順調に進んで、半分強ほど行ったところでお昼休みに。

青空の下、みんなでおにぎりや豚汁をいただく。

この時、膝まで捲り上げたズボンのせいで、足のスネが日焼けで真っ赤っかに。。

翌日から5日間も湯船に浸かることが出来なかったほど。

お昼休憩を終え、エネルギー補給も終わって、残りの苗を植える。

途中からコツを掴んで僕もペースが上がる。

で、無事に完植!

お風呂に入ってサッパリした後は、おかげさま農園や地元の人たちと交流会も兼ねて宴会に。

でも、コロナに気をつけながらの宴会だから、ちょっとおとなし目。

2日目は、前日の残りの苗を残った5〜6人で植え付け。

で、お昼過ぎには無事に終了!

足の爪の間に入った泥は、お風呂に入っても中々落ちないけど、またやりたい。

疲れたけど、なんとも楽しい田植えの経験でした。

収穫は10月。稲刈りも来れるといいな。







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