加藤ヒロ 公式サイト

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2021.10.03

スパイダー

9月の中旬頃からだろうか。

僕の籠り場でちょくちょく小さなハエ取り蜘蛛を見かけるようになった。

PC画面に向かっていると白い壁を這いずり回っている姿が目に入ったり、窓を開けようとしたらカーテンの上を探検中だったり。

もう2年くらい前のこと。

キッチンへと続くドアを開けた際に、床につくドアの開閉痕に、微かな血の痕を見つけた。

僕はその頃部屋の中で見かけたばかりの小さなハエ取り蜘蛛を殺してしまったことに気づいた。

こんな小さなハエ取り蜘蛛にも赤い血は通っている。

その時の罪悪感が蘇る。


いつもなら捕まえて外に逃がしてやるのだが、過去の罪悪感もあってか、今回はドアの開閉に注意しながら彼のことをそのまま放置することにした。

狭い部屋だ。ほぼ毎日数回は僕の視界に入ってくる。

僕がレコーディングの練習で歌を歌っているとき。

鍵盤を弾いているとき。

Zoom会議をしているとき。

日に日に彼に対する愛着と親近感は強まっていった。


今年の9月は、僕にとっては何とも言えない「音のない1ヶ月」だった。

ちょうど9月の初め頃、バレーコード(人差し指で複数の同じフレットの弦を押さえるコードのこと)を弾きすぎてしまい、左手を痛めてしまった。

結果として、ここ丸々1ヶ月間ギターを弾いていない。

最初は「また腱鞘炎の一歩手前の症状か。。」くらいに思っていたのだが、痛みが日に日に増していく。

どうやら左の腕全体、手首、肘、肩にかけての筋肉なのか、関節なのか、筋なのかわからないが、複数箇所痛めてしまったようだ。

具体的にここが痛い、というのが自分でもわからない。

左手でコーヒカップを持ち上げたり、ペットボトルのキャップを回すことも出来ない。

経験上1週間もすれば治るだろうとタカを括っていたが、1週間経っても10日経っても一向に良くなる気配を見せない。

さすがに不安にな理、整形外科に行って診てもらう。

「オーバーユース症候群ですね。骨は異常ないので、しばらく使わないでリハビリに通ってください。」とのこと。

靭帯とか骨に異常がないということで少しは安心したが、しばらくはギターを弾くことはおろか、ギターを左手で持つ事さえ出来ない日が続いた。

ギターは弾けないけど、キーボードであればそれほど痛みを感じる事なく弾くことが出来た。

僕は鬱憤を晴らすようにキーボードを弾きまくった。

これがよくなかった。

慣れないキーボードを長時間弾いたため、左腕の違う箇所までさらに痛めてしまった。

それからは楽器を一切触らない日々が続いた。

2週間が経った頃、少し光が見え始める。

コーヒーカップを持ち上げて、ペットボトルのキャップを回すことは問題なく出来るようになった。

そして、少しずつ無理のない範囲で左手に負担がかからないエレキギターでリハビリを開始することにした。

優しく、そっと弦に触れるように。

もう、以前にように弦をグッと力ずくで押さえることはしないし、その必要もない。

暦は10月へと変わり、まだ長時間ギターを弾くことは出来ないが、少しずつ以前の生活に戻り始めている。


そんな朝からよく晴れた日曜日。

いつものように籠り場に着くと、フローリング床の上で小さくうずくまる黒い小さな塊を見つける。

近づいてみるとよく見てみると、あのハエ取り蜘蛛の彼が仰向けになっているではないか。

息を吹きかけてみると、微かに生体反応がある。

彼の8本の足に人差し指を触れてみる。

すると彼はそれを待っていたかのように僕の指に捕まり、僕の指の上をわずかに徘徊した。

しかし、もうそれ以上動き回る力は残っていない。

僕は彼をそっとキーボードの鍵盤の上に置いた。

それから、ジッとしたままそこを動かない。

きっと、このまま彼は息絶えていくのだろう。

そのまま彼を見守ることにした。

僕は、スピッツの「スパイダー」をかけた。

イントロで小気味の良いアコースティックギターのストロークが鳴り響く。

短い彼との共同生活。

音のない9月を共に過ごした。

潤む瞳で彼を見つめる。

そして大粒の涙がこぼれた。

いつかまた夏の終わりが来たら、痛めた左腕のこと、音のないこの1ヶ月のこと、そして、部屋の隅で僕のことをそっと見つめていた彼のことを、僕は思い出すのだろう。
2021.09.12

逆チキンタツタ

あれだけ待ち侘びていたはずの東京オリンピック・パラリンピックが終わった。

それと同時に鳴らされたゴングに併せて、水でもかけられたかのように上から目線だった太陽の陽射しは斜に構えるように傾き、その圧は日に日に薄まっていく。

オリンピックの開催に併せて急増していた関東圏の新型コロナウイルスの新規感染者数は軒並み減少へと転じ、予断を許さない状況が続いているものの一時期の悲観的な観測も薄らぎ始めている。

この新規感染者数の減少の理由について、専門家の中でも首を捻る人が多い。

僕の勝手な推測だが、答えは単純で、実はオリンピック熱が冷めただけのことじゃないかと思っている。

オリンピックの開催が原因で新型コロナウイルスの患者数が増えたという分析結果は出ていないが、人間は脆い感情を抱えた生き物だ。

「絶対に感染してはいけない」という状況と「だってオリンピックやってるじゃん」と言い訳出来る状況の差が如実に出ただけのような気がしている。

もちろん、本当のところは分からないし、この夏に感染された方や未だに闘病中の方のことを思えば、ブログの中で易々と記述することではないが。。。

実際、僕の知り合いで会計士の先輩が、8月に新型コロナの感染でお亡くなりになってしまった。

聞かされた時はとてもショックで、暫くは一緒にゴルフしたり、食事したり、共に過ごした楽しかった時間の思い出が頭の中を駆け巡った。

ただただ無念で、ご冥福をお祈りするほかに術はなく、やり切れない気持ちを押し殺す毎日が続いている。

オリンピックが成功だったのか、失敗だったのか、という議論がメディアで出たりしているけど、正直その手の議論には興味が沸かない。

やってよかったか?に対して、一言で片付けられる話ではないことが沢山ありすぎる。

いろんな成功も失敗も混在している。

選手はこの夏の一瞬の輝きのために気が遠くなるくらいの努力を積み重ねてきただろうし、新型コロナだって誰も感染したくて感染しているわけではない。

混在した色んなものを一緒くたにすることは出来ない。


ところで、オリンピックの影響を受けて色んな動きがあると聞く。

巷では、複数のメダルを獲得したスケボー競技の影響を受けて、大人から子供までスケボー教室への申し込みが殺到しているらしい。

僕はと言えば、身近なスポーツの中で影響を受けたとすれば、やはり卓球だろう。

卓球は見ていてもとても面白いと思ったし、勉強にもなった。

ただ、僕にとっての勉強なんてレベルが低すぎる内容だけど。

例えば、サーブは卓球台の外側から打たないといけないことを改めて学んだ上で、「なるほど、卓球台から遠ざけるイメージでトスを上げるのか、、」とか。

もはや小学生の読書感想文でも、もっとまともな感想が書けるだろうと思うくらい稚拙なものだ。

だって、下手をすれば、ネットに思い切り近づいてサーブ打ち始める人とか平気で周りにいるし。

これって、ボーリングで言うところのファウルラインを平気で超えてボールを投げているようなもんでしょ。

そんな中、とある打ち合わせの後、気分転換のため、卓球場に寄ってみる事にした。

人が多かったら止めようとも思ったが、幸いにして人は少ない。

久しぶりの卓球。

もちろん相手はプロデューサーの安藤さん。

安藤さんのサーブ。

いきなり今まで見せたことのないポーズを見せる。

サーブの時、左手の手のひらをお椀型に丸めてボールを優しく乗せている。

「あれ?今までそんなポーズ、一回も見たことないのに。。。」

影響されている!

間違いなくオリンピックの影響だ。。

と、思ったら、おもむろに左手に乗せたボールを軽く揺らしながら「フッ」と息を吹きかける。

ああ、もう完全に影響されている。

そんなこんなで僕のサーブ。

もちろん、僕だって負けていられない。

左の手のひらをお椀型に丸めてボールを優しく乗せ、少し揺らしながら、やはり「フッ」と息を吹きかける。

そして、空中高くトスを上げて、スピンを効かせるようにラケットを横にずらしながらのサーブ!

って、うまくいく訳ないし。

今度は息を飲む壮絶なラリーの応酬。

心の中で叫ぶ!

「よし!逆チキータだ!」

パーン!

出たよ。

本当はチキータさえよく分かってないのに。。

チキータは、どうしても僕の中でチキンタツタにしか思えない卓球用語。

それが、逆チキンタツタって、どういうこと?

そんな訳分からないことばかり考えながらの卓球。

唯一決まった真似ごとは「みまパンチ」だけ。

ストレス発散には、ちょうどいい。
2021.08.21

力を抜くこと

子供の頃からずっとそうだった。

とにかく力を抜く事が苦手だった。

子供頃にアトピー性皮膚炎に苦しんだ。

体がいつも痒くて脱力できないからか、必然的にリラックスする事を知らないまま育った。

野球バットを振る時、ボールを投げる時、走る時、字を書く時、泳ぐ時、いつでも力んでいた。

むしろ、力を入れて歯を食いしばる姿は賞賛されるものだと勘違いしていた。

だから、いつも力んでは歯を食いしばっていた。

若い頃は、力づくで物事を進めても、そこそこに克服できる事が多かった。

それでも、水泳はずっと苦手で今でも泳ぎは得意ではない。

自分は筋肉質だから水に浮きにくいのだと思い込んでいたが、今思えば、力が抜けない体質ならば水に浮くはずもない。

だから、いつもバシャバシャと水を叩いて溺れているようにしか泳げなかった。

力づくで克服できない物事があると自覚したのが、高校時代のそろばんの授業でのこと。

力むと余計な珠に指が触れて上手く行かなかった。

それでも力づくで検定試験をクリアした。

でも、これ以上の級は無理だな、と思った。

力んだらダメなんだという限界を初めて体感した。

以前、あのイチロー選手が言っていた。

「少しでも体が緊張する、つまり力むとパフォーマスは最大限に発揮できない」と。

きっと天才の条件の一つは、無意識に力を抜いてリラックスできる状態でパフォーマンスすることが出来る事なんだろうと思った。

大人になってゴルフを始めた。

レッスンプロの先生に、何度も「力を抜け」と言われた。

「いいですか?あなたはこんな感じで力を入れてますよね。よく見ていてください。僕がやるみたいに、ほら。こうやって力を抜いてスイングしてみてください。」

いろんな先生から、何百回となく同じことを言われた。

ギターを始めてからも、歌を習ってからも、師匠から同じことを言われた。

「こんな感じで弾いてみて。」

何百回も言われた。

でも、”どうあるべきか”は教えてくれても、”どうすればそれができるようになるか”、言い換えれば、”こうすれば力が抜ける”という核心を教えてくれる人はなかった。

それもそのはず。

その答えは、自分で見つける以外にないものだから。

気づけば年齢から言って、僕もとうの昔に大人になっていた。

もう若い頃のように力づくで物事を押し進められることも出来なくなるだろう。

色んな思考錯誤をした。

ある日、数ある先生から言われたことの中に幾つかのヒントが隠されていることに気づいた。

力を抜くためには、逆に力を入れる必要がある、ということ。

言い換えれば、然るべき場所に力を込めることで、初めて不必要な体の部位の力が抜けてリラックス状態を作れるのだ。

これが正解なのかどうなのかは分からない。

でも、自分なりにたどり着いた答え。

力を抜くための答えが、逆に力を入れることにヒントがあったとは、中々面白いと思った。

そういう発想の逆転で常識を疑うことの必要性を感じる。

コロナになってずっと閉じこもり生活をしているからこその気づきだったのかも知れないけど、これで何かが変わることに期待している。

そんな2021年の夏。

僕のプロフィールの特技に、”泳ぐこと”が加わる日が来れば、あながち間違いではないのかも知れない。
2021.07.13

転換点

いつの日か巷で有名な占い師の方に占ってもらう機会があるとするならば、推し量ったかのようにこう言われるかもしれない。

「え〜と、2021年の春から7月頃にかけてですかね。大きな転換、新しいスタート、というのが出ていますね?この時期、何かありましたか?」

まだ人生52年とちょっと過ぎたあたりだけど、この7月は自分でもそうだと認識できるくらい、新しいスタートを迎えることとなった。

会社は3月に辞めたが、契約上の関係が完全に消滅したのは6月末。

つまり、7月1日からは本当の意味でフリーになったわけだ。

去年の暮れ辺りから、検討しては諸般の事情によりリリースの延期を繰り返したニューアルバムは、先日7月7日に無事にリリース日を迎えた。

春先から準備を進めてきた新しい活動のプラットフォームとなる株式会社チェリーズガーデンのHPも7月1日におかげさまでで無事公開となった。

春先に取材を受けた経済誌のインタビュー記事が7月5日に公開され、奇しくも同日にニューアルバムのインタビュー記事が音楽ナタリーに掲載、配信された。

もちろん、このタイミングに合わせて色々と準備を進めてきたのだから当然といえば当然、それだけと言えばそれだけのことだけど。。

もっと言えば、僕自身引っ越しもしてないし、車も変えていない。

体重こそ少し増えたけど、髪型も身長も、女性と食事の好みだって以前と変わらない。

いくら心機一転といったところで、自分自身が何かガラッと変わってしまった訳ではないのだ。

それでも、メガネを新しく買い替え、財布も春先に買っておいた新しい鹿の皮製のものに切り変えた。

うまく言えないけど、自分が変わったというよりも、、自分がもっと変わっていってもいい環境になった、、という感覚の方が近い。

地位とか役職だとか、立場を考えて人目を気にするとか、くだらないプライドに拘るとか、必要以上の雁字搦めのコンプライアンスに縛られるとか、合理性とか損得勘定だとか、そんなことを気にしなくて生きていいんだ、という環境の変化。

これからは、音楽人、自然人、職業人という3本の柱で活動していくことを誓ったばかりだけど、その前提として僕は自由人として生きていいんだ、ということに気づいたということ。

もっと、自由に発言してもいいだろうし、楽しいときは今まで以上に笑ってもいい。

嬉しいときはバンザイして喜んでもいいだろうし、場合によっては多少の馬鹿をやったって許されるかも知れない。

もちろん、人様に迷惑をかけるのはNGだけど。

その延長線上で、今まで一緒に働いていた人たちとも、昔の立場を超えて一人の人間として向き合い、人間味あふれる付き合い方が出来ればいいな、と思う今日この頃。

そんな、、7月に入って2週間が過ぎて、ふと気づいたこと。

こんなことをブログに、、書いていいんだ、という事も。

新しい自分になって、新しい旅を、始めるとするか。。


2021.04.28

がんねムーンビーチ

広島の繁華街、薬研堀の小さなビルにあるスナック。

その店のママは僕の中学時代の同級生だ。

広島を訪れた際、食事の後にちょこっとだけ顔を出す。

もう3年くらい前のこと。たまたま、そのお店に居合わせた江田島市役所の人と話が弾んだ。

「江田島にもっと沢山の人に来てもらいたいんだけど、予算もなくて大変だよ。」

と、その人は話し始めた。

「がんねビーチという砂浜があるんだ。そこを復活させるプロジェクトが立ち上がるかもしれない。」

その人が言った「がんねビーチ」という響きが妙に耳に残った。

調べると、最北端の沖美町の岸根鼻の付け根あたりにあった海水浴場だったらしい。

はるか昔に「がんねムーンビーチ」という名で賑わった風光明媚なビーチだそうだ。

その名前を聞いて、僕はサンフランシスコ郊外にあるハーフムーンベイを思い浮かべた。

海を見下ろす高台に超高級ホテルが建ち、その周りを緑鮮やかな芝と白い砂のバンカーのコントラストが美しいゴルフ場、そして高級別荘が立ち並ぶリゾートだ。

もうずいぶん前だけど、サンフランシスコに出張した週末に一度だけ行った事があって、とても印象に残っている。

まさか江田島にそんな高級リゾートができるなんで想像もつかない。

がんねビーチの復活とは、一体どういう事なんだろう。

僕は、どうしてもがんねビーチをこの目で確かめたくなって、ホテルを飛び出し車を走らせた。

高速道路を経由して、呉に入る。

まだ、あどけなさが残る制服を着た水兵達が歩く街中を抜けると、海には軍艦のような大きな船や、黒い鉄の塊のような潜水艦が数隻浮いているのが見える。

まるで映画で見た世界だ。

倉橋島を走り、早瀬大橋を渡り能美島に上陸。海沿いの道をひたすら進んでいく。

ホテルを出て1時間半が経過した頃、ようやくがんねビーチの近くまでたどり着いた。

ところが、がんねビーチへと続くはずの狭い山道は、途中工事中になっている模様で立入禁止の看板が出てきた。

一体、具体的にどこががんねビーチなのかが、よそ者の僕の目ではよく分からない。

恐らく、突き出た小さな半島に所々見える砂浜が、かつてのがんねムーンビーチと呼ばれている場所だったのだろう。

もちろん海水浴シーズンでもないから人影は見えないのだが、夏になってもそこが賑わうような雰囲気は全く感じられない。

今はもう閉ざされた遊園地のようだ。

その近くに小さな山がある。

日露戦争開戦間近の明治時代、バリチック艦隊の入港を阻止する為に、榴弾砲などが設置された三高山だ。今では、砲台山と呼ぶらしい。

戦争が終わり、高度成長を迎えた昭和の時代。海水浴は、人々にとって最大の夏の娯楽の一つだったに違いない。

家族連れで訪れた子供達の笑い声、付き合い始めたばかりの若い恋人達、孫を見つめる祖父母の微笑ましい笑顔。。。

僕は、朽ち果てた榴弾砲の眼下に広がる美しい砂浜と、その揺れる陽炎の向こうに夏のバカンスを過ごす人々の様々な表情を思い浮かべてみた。

青い空とエメラルドグリーンの海、カラフルなパラソルに流行りの色取り取りの水着姿。

僕の脳裏で、それらの風景がやがてモノクロの景色へと変わっていく。

想像していたハーフムーンベイとは雰囲気が違うけども、海の美しさはそれに引けを取ることはない。

むしろ、この海の方が美しいと思った。

今ではきっと、誰も訪れなくなったがんねムーンビーチも、人びとがバカンスを過ごした時代よりももっともっと昔にあった美しい姿を取り戻しているのだろう。

いつの日か、がんねビーチが復活する日がきた時に、また訪れてみたい。

因みに写真は、がんねビーチの近くにある砂浜。そこで釣りを終えて帰ろうとしていた家族連れに聞いてみた。

「がんねビーチは、どこにあるんですか?」

「がんねビーチ??・・さあ、、、聞いたこともないっすね。」

復活への道のりは長そうだ。
2021.04.19

消えたイエローチャリマシン

待ちに待った映画撮影の日。

その日は朝から晴れ渡り、初夏を思わせるような青空が広がっていた。

11時半前に現地にて集合!との指示を受ける。

絶好のサイクリング日和の空。

目的地までもそう遠くもないし、僕はイエローの愛車「イエローサブマリン」ならぬ「イエローチャリマシン号」に跨がり颯爽とペダルを踏みこんだ。

自転車に乗っているとナビがついているわけじゃないから、初めて走る住宅街のクネクネ道を進んでも思っていた大通りに中々出ない。

見上げても目印になりそうな高い建物も見えてこない。

「おかしいな。。」と一旦停まってスマホで現在地をチェック。

ゲっ!東に向かっているつもりが、いつの間にか北に向かっていた。

そんなこんなで、思ったより時間がかかり11時半ギリギリに到着〜!

「ヒロさん、おはようございます!」

「ヒロさん、お久しぶりっす!」

僕を見つけた、いつもの仲間が出迎えてくれる。

「ヒロさん、今日は自転車なんですね!こっちに停めてください!」

撮影現場の建物の脇にある歴とした駐輪スペースに、イエローチャリマシン号を停めて鍵をかけ、急いで中に入る。

撮影は順調に進み、その日の予定は無事に終了。

それが大体15時ごろ。

プロデューサーの安藤さんと近場のカフェで打ち合わせをするために移動することに。

そこで、僕の買ったばかりのイエローチャリマシン号を安藤さんにも見せようと自転車置き場へ。。

ところが。。

「あれ?ない。。ここに停めておいたはずなのに。。」

まるで狐に摘まれたみたい。。

人間は、想定していない事実を突き付けられた瞬間、本能的に「そんなはずはない」と否定心が先に立ち、現実を受け入れるのに時間がかかる。

「ない。。。。もしかして、、盗まれた??」

まだ2月に買ったばかりだから、2ヶ月も経っていないのに😢😢😢

自転車移動で、ガソリン代は浮くわ、駐車場代は浮くわ、駐輪場から歩くから健康にはいいわ、何よりも走っていて気持ちいいわ、、と良いこと尽くしのはずだったのに。。

盗難届を出しても、きっと見つからないだろうな。

保険で買い直せると聞いてたけど、うっかりして利用者登録するの忘れてたし、、バッテリーの製造番号も現物がないから分からないし、仮に保険で買い直せたとしても定価の30%を払わらないといけないし。。

自転車は乗るな、ということか?

盗難届を受理してくれた交番にて。

年配の交番相談員のおじさん。

自転車を買ったお店でもらってきた車体番号とか盗難登録番号とか買いてある売上伝票のコピーをそのまま見せる。

「え〜と、、車体番号が●●で、防犯登録番号が●●、それで、、買った値段が●万●千円と。。」

「いや、●●万●千円です。」

「えーっ⁉︎・・●●万●千円⁉︎」と、見事なリアクション!

「電動アシスト付の自転車ですから。」

車から自転車に変えて目論んでいた経費削減作戦は、どうやら失敗に終わりそう。。

むしろ高くついたわ!

それにしても、世の中・・悪い人がおるもんじゃね。
2021.03.31

ええ子やわ〜

篭り場からの帰り道。

阪神戦の試合開始に間に合うように家に帰りたいところだが、どうせ意気込んでテレビの前に陣取るとロクな結果にならない。

別に自分にそんな大そうなパワーが備わっているとは思えないが、「見ると負ける」と感じている人は世の中には少なくないようだ。

そんなプロ野球も開幕し、春の暖かさを感じるようになって、ようやく電動アシスト付自転車に乗る機会が増えてきた。

2月に購入した自転車のバッテリーが間も無く30%を切る。

そろそろ記念すべき第1回目の充電の時期だ。

所詮、自宅と篭り場の往復でしか乗らないから大した距離ではないのだが、想像していたよりもバッテリーの持ちはいい。

いつも篭り場まで少し距離のある有料駐輪場に自転車を停めて20分以上歩く。

歩数も格段に増えるから健康にもいい。

しかも、駐輪代は1日100円で済む。

自転車での移動が増えると車で移動する時と比べてコインパーキング代が浮くから、これで益々会社の経費削減が促進される。

いいことだらけだ。

そんな感じで、自転車を停めている駐輪場まであと少しでのこと。

踏切の手前30メートルの距離に信号のない横断歩道がある。

降りていた遮断機は上がり、車の往来が再開される。

僕がゆっくりその横断歩道に近づくと、、小学生だろうか、リュックを背負った一人の男の子が“気をつけ”の姿勢のまま、車が途切れるのを待っていた。

通りかかった一台のワゴン車が少年の姿に気づいて少年を渡らせる。

それを見た少年は、気をつけの姿勢からほぼ直角に深々とお辞儀をして、横断歩道を渡り始める。

そこへ反対車線には一台の乗用車が近づく。

少年は一瞬だじろぎ、歩みを停めるが、反対車線の乗用車は急いでブレーキをかけ、少年を渡らせる。

その時、少年はその乗用車にもほぼ直角に深々とお辞儀をして、小走りに横断歩道を渡りきった。

なんて礼儀正しい少年なんだ。

「ええ子やわ〜。」

と心の中で叫ぶ。

許されるなら、駆け寄って頭をなでなでしたいくらい。

きっと親御さんの教育がしっかりしてるんだろうな。

それか、スポーツ少年ぽいから、優れた指導者に恵まれているのか。

「ええ子やわ〜。」

と心で叫ぶながら、その少年の3メートル後ろから、僕もそそくさとその横断歩道を渡る。

ワゴン車は行ってしまったが、反対車線の乗用車は僕が横断するのも待ってくれていた。

そこで僕はほぼ直角に深々とお辞儀をしてら、、何の宗教??ってことにならないか。。。

なので、ちょこっと顎突き出して会釈だけしといたわ。

大人って、、、ダメやね。。。
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