加藤ヒロ 公式サイト

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2019.01.20

ノスタルジックな夕暮れ

深夜、広島でのライブ後の打ち上げを終えてホテルに帰還。
そのままベッドに雪崩れ込む。

朝、目を覚まし、シャワーを浴びて着替えてからチェックアウト。
ホテルのロビーで1時間ほど仕事の打ち合わせを行い、本通り近くのインド料理屋へ。
ここのインド料理レストラン、先月広島に来た時に立ち寄った場所。
カレーが美味しいし、ナンも油っこく無くて胃に優しい感じでお気に入りに。

お腹を満たしてから、いざ大阪に向け出発。
車の荷台にはメンバーの楽器やら機材類がギュウギュウに詰め込まれている。
来る時も荷物一杯で、それでも効率的に積み込めば、天井までのスペースに少しは余裕があったはず。
でも、帰りは駿汰のドラム機材が無い分だけ荷物は減っているはずなのに、何故か天井までギュウギュウだ。
積み方にノウハウがあるんだよね。こういうのって。
誰が積んだんだろ。。。まさやかな?
と、いうのは冗談として、僕のバンドメンバーは皆んな心優しくてフットワークも軽いから、機材の積み下ろしは率先して全部やってくれる。
大体僕は見てるだけ。。。とても頼もしくて有難い。

さて、高速を走ること2時間。時刻はまだ14時。
まだ時間もあるし、久しぶりに岡山に寄っていくか、と高速を降りる。

僕が岡山で暮らしたのは、3歳から小学校3年生の途中の約5年間。
そう、いわゆる幼少期と呼ばれる時期。
その頃を過ごした街を訪れるのは、僕がニューヨークに行った年だから26年ぶり。
暮らしていたのは約40年以上も前だ。
変わってるだろうなあ。

車でその頃住んでいた街の中をゆっくりと走る。
思いのほか道幅が狭い。
こんなに狭かったっけ?
子供の頃空き地だった場所にはマンションが建ち、古い家は建て替えられ、その頃の街並みの面影は半分以上失われていた。
僕が住んでいた3階建てのアパートはまだ建っていたが、非常階段はサビまみれになって、人が住んでいる気配は消えていた。そう、廃墟だ。
でも、斜向かいのお風呂屋さんは健在だった。住んでいる家を建て替える間は、その風呂屋の2階に住んでいた時期もあった。
子供の頃、髪を切ってくれていた美容室もまだあったし、よく太巻きを買いに行ったり、週刊チャンピオンを読みに遊びに通っていたお寿司屋さんもまだあった。

その頃は僕らを含めてその周辺には子供が沢山いて、そして僕たち子供を街ぐるみで見守っていてくれていたように思う。だから、近所のおばちゃんの家に上がり込んだり、喉乾いていたらジュースをくれたり、おやつをくれたり、とあるおじちゃんはよくアイスを買ってくれたりした。
そのおじちゃんの事を僕たちは「ゴリラのおっちゃん」と呼んでいた。

そんな思い出を辿ろうと、車を停めて散歩を、、と思ったけど、東京と違って田舎ではコインパーキングというものが中々見つからない。
やっとちょっと離れた場所で小さなコインパーキングを見つけて車を停めてから、僕が通っていた小学校まで歩く。
小学校前にあったある会社のビルの入り口付近の軒下では、毎年ツバメが巣を作っていた。
ツバメの雛が巣から落ちて大騒ぎになったこともあった。
そのビルの前にたどり着いて入り口付近の軒下を見上げる。。
するとそこには木製の板が設置されていて、今でもツバメが毎年そこに巣を作っている事が伺い知れた。
ずっとずっと、あれから40年以上も毎年繰り返されている小さな生命の営みを思うと胸が熱くなる。

小学校を後にして子供の頃よく遊んだ公園まで行ってみる。
その公園に昔からあった石碑は、その姿を寸分も変える事無く、その場所に佇んでいた。
何もかもが懐かしい。

近くの電気屋も、八百屋も、ボーリング場も無くなっていて、すっかり街並みは変わってしまっていたけど、実際に歩いてみると端々に昔の思い出がそのまま残されていた。

夕方、懐かしい街を後にして、西の空に傾く夕日に手をかざしながらハンドルを握り再び高速へ。
順調に走り大阪に到着。

どこかノスタルジックな気持ちになった夕暮れでした。




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