バーニー・ウイリアムス
日曜日。。
窓から柔らかい冬の日差しが差し込む中、1日中ソファーに座って過ごす。
テレビを見たり、ipadで遊んだり、ストラトを手にアンプに接続しないギターを弾いたり、本を読んだり、、そして気づかないうちに寝てたり。。
僕がそんな風に1日中家の中で過ごすことは稀だ。
年に数回しかない。
そんな数回の中の1回がこの前の日曜日だった。
テレビのNHKでは、2003年にアメリカのメジャーリーグに渡った松井秀喜のドキュメンタリー番組をやっていた。
その頃のヤンキースのメンバーは、僕がまだニューヨークに居て毎晩のようにテレビでヤンキースを応援していた頃の主力選手が残っていて、松井選手と一緒に地区シリーズを戦う映像はとても懐かしい。
監督のジョー・トーレに主力選手ではデレク・ジーター、バーニー・ウイリアムス、ホルヘ・ポサダ、デービッド・ウェルズ、、そして、僕がニューヨークにいた頃にはまだヤンキースにいなかったロジャー・クレメンス。。。
まあ、この面々を見れば、当時のヤンキースは強くないわけがない。
昔を思い出させてくれる映像がテレビの画面でしばし流れる。。
ところで、僕が音楽を始めることとなった背景には、実は様々な要因が存在しているのだと自分では思っている。
もっとも一番影響が大きかったのは、憧れていた秦基博さんのように歌いたい、と思ったことことだが、実は上述のヤンキースの選手のキャリアも僕の音楽人生に少しだけ影響している。
それは、2003年当時ヤンキースの4番を打っていたバーニー・ウイリアムス。
僕が彼をテレビで初めてみたとき、彼は1番打者で、長い足とスピード感あふれるプレー、そして体のバネに持ち前のパワーを武器にレギュラーの座を掴もうとしていた頃だった。
当時の専門家に言わせれば、バーニーは足の速さもパワーもメジャーにしては中途半端、という評価だったらしいが、全盛期には立派な成績を収め、ヤンキースの歴代の名プレーヤーの仲間入りをして引退した。
引退後には、彼がつけていた背番号51は永久欠番にもなった。
僕も意外だったけど、バーニーは僕と同い年(正確にはバーニーとは日本でいう同じ学年)。
まだ僕が音楽を始める前のこと。
なぜか日本のテレビで、バーニー・ウイリアムスが野球選手を引退した後にミュージシャンとして活躍している、というニュースを見たのだ。
その頃は、「へ〜、バーニー・ウイリアムスってやるなあ。でも、野球選手の後はミュージシャンって、、そんな生き方もあるんだなあ。。」と感心したのを今でも覚えている。
その数年後に、僕が音楽を始めてのめり込んで行く過程で、バーニー・ウイリアムスの存在がどこかで脳裏をかすめたのは確かだ。
「バーニーだってやっているし。ミュージシャン。」
月日は流れ、一応僕もミュージシャンとして名乗るようになった。
バーニーと同じだ、、と思っていたけど、、なんとバーニー・ウイリアムスは、子供の頃からクラシックギターを弾き、現役時代の2003年、、奇しくも松井秀喜が入団した年の夏にメジャーレーベルからアルバムをリリースしている超実力者だった。。。。
すげえ。。
レベルが違った。。
バーニー先生、ごめんね。
僕と一緒にして。。