加藤ヒロ 公式サイト

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2019.02.05

バーニー・ウイリアムス

日曜日。。

窓から柔らかい冬の日差しが差し込む中、1日中ソファーに座って過ごす。

テレビを見たり、ipadで遊んだり、ストラトを手にアンプに接続しないギターを弾いたり、本を読んだり、、そして気づかないうちに寝てたり。。

僕がそんな風に1日中家の中で過ごすことは稀だ。

年に数回しかない。

そんな数回の中の1回がこの前の日曜日だった。

テレビのNHKでは、2003年にアメリカのメジャーリーグに渡った松井秀喜のドキュメンタリー番組をやっていた。

その頃のヤンキースのメンバーは、僕がまだニューヨークに居て毎晩のようにテレビでヤンキースを応援していた頃の主力選手が残っていて、松井選手と一緒に地区シリーズを戦う映像はとても懐かしい。

監督のジョー・トーレに主力選手ではデレク・ジーター、バーニー・ウイリアムス、ホルヘ・ポサダ、デービッド・ウェルズ、、そして、僕がニューヨークにいた頃にはまだヤンキースにいなかったロジャー・クレメンス。。。

まあ、この面々を見れば、当時のヤンキースは強くないわけがない。

昔を思い出させてくれる映像がテレビの画面でしばし流れる。。

ところで、僕が音楽を始めることとなった背景には、実は様々な要因が存在しているのだと自分では思っている。

もっとも一番影響が大きかったのは、憧れていた秦基博さんのように歌いたい、と思ったことことだが、実は上述のヤンキースの選手のキャリアも僕の音楽人生に少しだけ影響している。

それは、2003年当時ヤンキースの4番を打っていたバーニー・ウイリアムス。

僕が彼をテレビで初めてみたとき、彼は1番打者で、長い足とスピード感あふれるプレー、そして体のバネに持ち前のパワーを武器にレギュラーの座を掴もうとしていた頃だった。

当時の専門家に言わせれば、バーニーは足の速さもパワーもメジャーにしては中途半端、という評価だったらしいが、全盛期には立派な成績を収め、ヤンキースの歴代の名プレーヤーの仲間入りをして引退した。

引退後には、彼がつけていた背番号51は永久欠番にもなった。

僕も意外だったけど、バーニーは僕と同い年(正確にはバーニーとは日本でいう同じ学年)。

まだ僕が音楽を始める前のこと。

なぜか日本のテレビで、バーニー・ウイリアムスが野球選手を引退した後にミュージシャンとして活躍している、というニュースを見たのだ。

その頃は、「へ〜、バーニー・ウイリアムスってやるなあ。でも、野球選手の後はミュージシャンって、、そんな生き方もあるんだなあ。。」と感心したのを今でも覚えている。

その数年後に、僕が音楽を始めてのめり込んで行く過程で、バーニー・ウイリアムスの存在がどこかで脳裏をかすめたのは確かだ。

「バーニーだってやっているし。ミュージシャン。」

月日は流れ、一応僕もミュージシャンとして名乗るようになった。

バーニーと同じだ、、と思っていたけど、、なんとバーニー・ウイリアムスは、子供の頃からクラシックギターを弾き、現役時代の2003年、、奇しくも松井秀喜が入団した年の夏にメジャーレーベルからアルバムをリリースしている超実力者だった。。。。

すげえ。。

レベルが違った。。

バーニー先生、ごめんね。

僕と一緒にして。。
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