加藤ヒロ 公式サイト

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2019.02.10

ちょっくら掘りに。。

例えば、宝石。

欲しいと思えば、お洒落な街のオシャレな宝石店に行けば簡単に手に入る。

欲しい宝石の種類も、グレードも、自分の欲しい宝石のデザイン・品質・グレード感、値札に書かれた数字、そして自分の懐具合に照らして許容されるべき予算感、そうした様々な複数の要素が最も均衡するポイント付近に位置する品物を見定めた上で購入する。

それが賢い買い物だ。

そして、僕はずっと欲しいものをそうやって買って来た。いや、正確に言えば、買うことによって手にしてきた。

さらに言えば、そういう欲求を満たしてくれるだけのあらゆる選択オプションを提供してくれる沢山の宝石店が、東京だけでも数え切れないくらい存在している。

だからこそ、僕たちは賢い買い物を不自由なくすることができる。

実に恵まれた世界だ。

今やモノに対する嗜好は国境を越え、海外のものであっても現地に行かなくても買うことさえできる。

先進国を中心としてグローバルに発展してきた高度な経済社会の賜物だ。

素晴らしい。

本当に素晴らしい時代になった。

ところが、どうだろう。

ひとたび自分の欲しい宝石のデザインや、グレードや、品質といったものが、お店で売られているものではなく、自分だけのオリジナルのモノを求めるとうになったらどうだろう。

欲しいモノの定義が変わったら、という仮説だ。

日本中、いや世界中の宝石店を回っても、自分だけのオリジナルの宝石なんて見つからない。

世界で一つしかない宝石だとしても、それが自分の手によって作り出されたものでなければ満足出来ないとすれば、、、だ。

解決する方法はただ一つ。。

自分で作るしかない。

自分で作るとなれば、分業化が進んだ現代社会では、卸売業者から宝石の原石を買い付けるところから始めるのが妥当だろう。

それが合理的なやり方だ。

ところが、オリジナルの定義を、自分が発掘してきた原石から作ったもの、という風に捉えたとすればどうだろう。

そうなれば、もう自分で鉱山に行って、自分で原石を掘り当てるしかない。

そして、自分でデザインし、加工し、最終製品に仕上げるのだ。

実際には、鉱山の世界では採掘権とか、そういう権利がなければ原石を自分で掘り当てることさえ出来ないかもしれない。

何かと厄介な世界だ。


さて、この話を音楽に当てはめてみたらどうだろう。

歌いたい曲は、カラオケボックスに行けば、何万という曲のリストの中から選ぶことができる。

お金さえあれば、際限なく、何曲でもどんなジャンルの曲でも、好きなだけ歌うことができる。

でも、歌いたい曲が自分だけのオリジナル曲だとすれば、、、。

そう、自分で曲を作るしかないのだ。

僕が曲を書き始めた当初は、身の回りにある、直ぐでにも手に入る素材を使えば、ある程度欲しいものができた。

簡単なアクセサリーくらい、誰にでもその気になれば作ることができる。

でも、それを人に売ることは出来ない。と、いうよりも買ってくれる人なんて中々いない。

そして、自分が欲しいと思う曲が、宝石で言えば、サアイアとかダイアモンドとか、誰もが羨むくらいのものになればなるほど、自分の身の回りにあるものを使って間に合わせで作ることなんて不可能になる。

だから、そんな時はやはり自分の足で鉱山に原石を掘りに行かなくてはならないのだ。

去年、「In the Breeze」のアルバムを作っている途中で、僕は原石を掘りに行く旅に出た。

まずは、身近な鉱山の浅い場所から掘ってみた。

決して珍しい原石ではないけど、掘り当てた石を周りの人の力を借りながら、加工して磨き上げ、一つの曲へと仕上げた。

それが、「いつか笑えるよ」という曲だった。


さて、今年に入ってからの話。

どうやら僕はもっと遠い、いや少し掘り当てるのに時間を要するかも知れない鉱山に、新しい原石を探しに行く旅に出なければならいみたいだ。

今の自分の持ち合わせでは、決して作ることの出来ない曲が目の前にあって、それを完成させるためには、新しい原石を採掘する必要がある。

それくらい、今までの自分では書けない歌詞が当てはまる曲になりそうだし、どうせならそれに挑戦してみたいと思う。

と、いうことで、ちょっくら石を掘りに行ってきますわ。

どこに埋まっているか、本当に掘り当てられるのか、、、わからないけど。

そして、いつ、帰って来れるかもわからない。

な〜んて、やはり便利な世界。

山はしょっちゅう帰って来れる場所みたいですわ!
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