加藤ヒロ 公式サイト

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2019.03.15

消えた、すだちそば。

僕は、3年くらい前までは蕎麦を積極的に食べなかった。

いや、食べていたけど、必ずと言っていいほど、ミニ丼がセットのメニューが当たり前で、食べたいのは蕎麦ではなく丼の方で、丼を際立たせるだめの脇役としての蕎麦でしかなかった。

でも、ある時を境にランチを中心に蕎麦を食す頻度が上がり、今では多い時には週に4〜5回蕎麦を食べることもある。

僕の籠り場の近くにも数件の蕎麦屋があるが、僕が決まって行く蕎麦屋は2軒しかない。

共通しているのは、蕎麦が細めで、汁が優しい味であること。

食べた後、胃にもたれるつけ汁のお店は二度と行かない。

これは、お店が悪いのではなく、僕の胃との相性の問題だと思っている。

ところで、そのお気に入りの2軒のうち1軒は歩いて5分もかからない場所にあるから、訪れる頻度は格段に高い。

もう1軒の蕎麦屋は、歩いて10分ちょっとかかる。

だから、その店の近くの銀行に行ったついでに寄る、といったケースに限られるので、自ずと回数は限られる。

さて、先日の話。

銀行に行く予定もないのに、わざわざ遠い方の蕎麦屋に出かけてみることにした。

その理由は、その蕎麦屋の名物メニューとも言える「すだちそば」を食べたくなったから。

「すだちそば」は、そばの上に20枚ほどの薄いスライス状のすだちが表面を覆うかのように敷き詰められたそばだ。

食べる時には、すだちをどかせて食べることになるが、その一手間でさえも煩わしいと感じることもない。

実に、すだちの爽やかな酸っぱさがそばに合うのだ。

その日、僕はいつものように開店直後のお店のカウンターに座った。

頼むメニューは「すだちそば」と決めているのに、わざわざメニューをみる。

で、一応メニュー見るふりだけして温かい「すだちそば」を頼もうと思ったら、、あれ?「すだちそば」がメニューにないぞ。。

冷たいそばの中にも見当たらない。。

何度見直しても見当たらない。。

おかしいな。。。

仕方がないので、温かい「梅しそそば」と「もずく酢」を注文。

やっぱり酸っぱいやつか。。そう、疲れてるからね。

それにしても、何故「すだちそば」がないのか。

一言、女将さんに「「すだちそば」は無くなったんですか?」と聞けばいいだけの話だ。

そう、簡単なこと。

でも、不思議なことに、その時、僕はそうすべきではない、と直感的に思った。

何故だかわからないけど、聞かない方がいい、と。

その直感の背景にある僕のシナリオは、、、こんな感じだ。


そういえば、前回も、前々回も、その前の前々々回も、ずっと僕は「すだちそば」を頼んでいる。


元来、僕がその店の「すだちそば」の虜になったのは、初めて食した時に感じた芸術的とも言える”繊細さ”だった。

その”繊細さ”とは、職人技とも言える透き通るようなすだちの”薄さ”にある。

しかも、その薄さはスライス状になったすだちがきれいな円形に表現され、寸分の狂いもないくらい均等にスライスされている。

そして、すだちのタネまでもが、その薄さと同じ薄さでスライスされているのだ。

その芸術性は、全面に敷き詰められたすだちを一枚一枚取り除き、すだち用の取り皿に積み上げていくとよくわかる。

すだちの薄さが均等だから、20枚ものすだちを積み上げたとしても、真っ直ぐな塔のように積み上げることができるのだ。

間違えて薄く切りすぎてしまえば、見事なすだちの円形が崩れるように縁が切れてしまったり、あるいは、斜めにスライスされることで不均衡に厚みが残ってしまったりするであろう。

そう。。少しでも斜めにスライスされたすだちが混じっていると、ここまで真っ直ぐな塔のように積み上げることはできない。

これを職人芸と言わずしてどうする、というくらい見事な”すだちスライス”なのだ。

もしかしたら、わざわざそういうスライスに失敗した”すだちスライス”は、客に出す前に選別し取り除くことで、そばの上に載せないようにしているのかも知れない。

それはそれで、お客に最高の選りすぐりの”すだちスライス”を出すことに徹底しているのだから、お店として素晴らしいと思う。

ところが、僕が異変に気がづいたのは、前々々々回に「すだちそば」を頼んだ時だった。

出てきた「すだちそば」の上に敷き詰められた”すだちスライス”は、いつも僕が目にしていた透き通るように美しい芸術的な”すだちスライス”ではなく、その半分くらいは
縁が切れて円形は崩れ、残りはどちらか側が分厚く決して均等とは言えない厚みの”すだちスライス”でしかなかった。

まるで、切り損ねたきゅうりの薄切りみたい。

それまでの芸術的な”すだちスライス”に魅せられていた僕にしてみれば、とても失望してしまう”すだちスライス”だった。

その時、僕は思った。。。「今日は、きっといつもの店主が体調を崩して、代わりの人がすだちをスライスしているんだろうな」と。

だから、この失敗スライスは、一時的なものでしかないはずだと。

その次、そして、その次にもこの蕎麦屋に来た時に僕は「すだちそば」を注文した。

まるでそのお店で働くきれいな女性店員さんをしばらく見かけなくなったから、その人に会いたい願望を叶えるために繰り返しお店に来るような感覚で「すだちそば」を注文した。

でも、僕が会いたい「すだちそば」は二度と僕の前に現れることはなかった。

そして、今回ついにメニューから「すだちそば」は消えてしまった。

メニューから消えたということは、かなり決定的だ。。

つまりは、僕は二度とあの芸術的な”すだちスライス”に出会うことができないのか。。

だけど、それを確定的なものにしたくない。。。

僕が感じた直感は、、それだ。。

認めたくないのだ。。

もう一度でいいから、あの芸術的な”すだちスライス”に会いたいのだ。

だから、わざわざ女将さんに確認することを直感的に躊躇ったのだ。

もしかしたら、僕と同じように失敗スライスに気づいた多くの常連客から、「最近すだちのスライス、あまりクオリティー良くないねえ」というクレームが入ったのかもしれない。

二代目にお店を継がせようとしている先代は、二代目があの芸術的な”すだちスライス”を習得できるようになるまで、修行期間として一時的に「すだちそば」をメニューから外したのではないか。。

そして、スライス練習用にと、すだちの産地である徳島県から賞味期限が迫った大量のすだちを格安価格で仕入れ、夜な夜な芸術的な”すだちスライス”を習得するための修行のために消費されているのではないか。

ところが、ちいさな蕎麦屋では、大量に安価で仕入れたすだちと、本来お客に出すための高級すだちを明確に区別するように保管するためのノウハウとシステムが確立されていなかったがために、それらがごちゃ混ぜの状態で厨房の中でところ狭しと山積みになっているのかもしれない。

そんな二代目が、修行が嫌になって、もうすだちなんて見たくもない、というくらいのすだちアレルギーになってメニューから外したのかもしれない。

いや、実はこのお店、まだ誰も知らないすだちの不作を事前に察知して、大量に先物ですだちを仕入れてしまったところ、予想に反してすだちは豊作。大量のすだちの在庫を抱えることになってしまったが、自分の店で使用する分を取り分けすることを忘れてしまい、損切り覚悟で大量のすだちを処分してしまったのではないか。

いやいや、実は僕らの知らないところで、二代目がすだちと間違えて、大量に大分産のかぼすを注文してしまい、もはや当面は「すだちそば」ではなく「かぼすそば」で行こう、と決めた直後に僕がお店に行ったため、まだ「すだちそば」を削除しただけで「かぼすそば」を記載するのが間に合っていなかったメニューを僕は見ただけの話なのかも知れない。

いやいや、もしかしたら、この前の米朝首脳会議でなんらの成果が上がらなかったことが、このお店のメニューに影響しているのかも知れないし。。

んなバカな。。


なんて他愛もないこと考えながら、「梅しそそば」と「もずく酢」を頂きましたわ。。。


で、結局のところ、そのお店の”すだちスライサー”という調理器具が故障しただけの話だったとすれば、、僕が感動した職人芸のような芸術的な”すだちスライス”って何だった??ってことになるんだけど。。

今度、女将さんに聞いてみるか。
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