みかん製のオレンジ
月曜日の嵐から一転、その後の数日間の東京は初夏を思わせるような陽気に包まれた。
朝の会議を電話で済ませ、いつものように篭り場へ向かう。
篭り場の建物の入り口を入り、鍵をかざすと僕の篭り場に割り当てられたメールボックスの扉が自動的に開く。
わずか2〜3日放っておくだけで、メールボックスは不条理に詰め込まれる広告チラシで一杯になる。
エレベーターの中で、それらが床に落ちないようにバランスを取りながら束になった広告チラシに目をやると、この辺りで売りに出されている建売住宅の同じチラシが4枚も入っていることに気づく。
それが数日間にわたってメールボックスに入れられたものなのか、いっぺんに入れられたものなのかは別として、僕にとっての押し付けられた広告チラシの不条理さが一気に4倍に膨らむ。
10000枚の広告チラシで、その1%に当たる100枚でも誰かの目にとまりヒットし、そのさらに数%の人がアクションを取ってくれればそれでいい。
ターゲットとする正確なヒット率がさておき、恐らくそのような考え方で広告チラシは不特定多数の人に対して無作為に配布されるのであろう。
同じ広告チラシでも、興味をそそるシール式の見開きハガキの場合、閲覧率は格段に上がるという話を聞いたことがある。
まあ、何はともあれ、電子メールでの勧誘や広告ならまだしも、紙媒体の広告チラシは物理的な処分を伴うので、正直受け取る方としては煩わしさを覚えざるを得ない。
たくさん作って、そのうち一部だけが当たればいい。
たくさん作るのは、たくさん作ってもたくさん消費された時代の産物のようにも思える。
大量のゴミ処理の問題、膨大な食品ロスの問題、過剰パッケージの問題、そして、、リサイクル・リユースの動き。。
もう、そんなに大量生産しなくてもいい時代が、、随分前に来ているような気がするけど。。。
減りゆく人口。少子化。。生まれてくる未来の子供達に、大量生産の文化をそのまま押し付けること自体が不条理というものだ。
でも、大量に生産する仕組みを維持しなければ、やることが無くなってしまう人々がたくさんいる以上は、なかなか事はあるべき姿に変わろうとしない。
ある人にとっての不条理は、ある人にとっての必然であり、必須であるのかもしれないのだ。
ああ、、みかん製のオレンジだな。
ん、、ちょっと待てよ。
僕のライブのチラシも、大量に刷って配る。。それに似てないか・・。
うん、似てるな。。。人のこと、、言えないな。
うん、、みかん製のオレンジだ。