加藤ヒロ 公式サイト

BLOG

2018.04.20

幸せな酔っ払い

牡蠣。。。それは、僕のギターの師匠の大好物だ。

もう季節的には牡蠣のシーズンは終わっているが、、店を選ぶ際に牡蠣の写真が表に張り出されていると、、僕たちにその店に入らない理由はない。

店に入り、牡蠣を注文。念のため、生ではなく火の通った牡蠣。

いただくが、、師匠も僕も表情は曇り気味だ。。

全国各地で牡蠣の絶品の味を知っている師匠と僕。

とりわけ、僕の高校の同級生が広島の薬研堀という場所でやっている「独」というレストランで食す牡蠣は、師匠のみならずBARAKAメンバーとその関係者一同、皆口を揃えて絶品と言った。

キーボードのサポートをお願いしている稲垣さんに関して言えば、二度目の広島のワンマンライブの打ち上げ場所に前回と同様、「独」での打ち上げと牡蠣をリクエストしてきたくらいだ。

牡蠣の味にはとても厳しい僕たちだが、味に厳しいことを差し引いても、、多分このお店は次の牡蠣のシーズンを迎えることは保証されないだろう。

仕方なく、ぐいぐいと料理をワインで流し込む。

喉越しのいいスパークリングワインで勢いづいた僕と師匠は、早々にその来年の牡蠣シーズンを迎えられる保証がない店を後にした。

そして、話す言葉のボリュームを上げたまま、タクシーで2軒目に向かう。

そこで、師匠がもう一人を電話で呼び出す。

共通の知人で、僕らが定期的に通う美容室のお兄さん。その名もケンジさん。

共通の知人というよりは、そもそもその美容室をギターの師匠から紹介してもらったわけで、、二人の旧知の中に僕が参加させてもらった格好だ。

2軒目はそのケンジさんが以前テレビで紹介されているのを見たというバー。

その場所がわからないので、ケンジさんから教えられた別のバーを待ち合わせ場所とする。

そのバーは、80年代の洋楽をリクエストして音楽と映像を楽しむ、という仕組みらしい。

一昔前のジュークボックスのようなものだが、現代では音楽だけではなく映像も一緒にスクリーンに映し出される。

師匠は、昔のナンバーを何曲もリクエスト。

映像を見ながら、「この映像を見たいがために、バイトで貯めたお金でビデオを買ったんだ。その頃はビデオが2万円とか1万円とかしたんだ。」

と、誰に怒っているかわからない感じでテンションを上げている。

多分、今はほとんど無料でYou Tubeの画像がいつでもどこでも見れるようになったので、、、その現代社会のIT技術の進歩に怒っていたんだろうと思う。。。

と、言っている間にケンジさん登場。

その後、お目当てのバーでなぜか1弦の切れたアコースティックギターを弾きながらワインをいただく。。

ああ、、幸せな酔っ払い。そして、二日酔い。。

師匠と飲むと、まあ、、こうなるわな。
2018.04.17

ユーミン

松任谷由実45周年記念ベストアルバム「ユーミンからの、恋の歌。」を購入した。

歌詞が綴られたブックレットをつらつらと眺める。。

僕が曲作りに悩んでいる間、色んな人からユーミンの話を聞いた。

歌詞を読むだけで勉強になるとか、ユーミンの曲作りのヒントの習得方法とか、、。

とりあえず、ブックレットの歌詞を読んでいるうちに、、学生時代によく聴いていたアルバムに収録されている曲と再会した。

元々、僕はユーミンの熱狂的なファンという訳ではない。

学生時代に何枚かのアルバムをレンタルして聴いていたが、それ以外は普通に世間的にヒットした曲を耳にするくらい。

それでも、この学生時代に聴いていた曲との再会は、、僕の心を動かしてくれた。

聴いていたアルバムは、ちょうど大学1年生の冬に聴いていた「ダイアモンドダストが消えぬまに」と2年生の冬に聴いていた「Delight Slight Light KISS」。

その中でも、今回のベストアルバムで、僕の中にメロディーが蘇ったのは「Delight Slight Light KISS」に収録されている「ふってあげる」「Nobody Else」と「September Blue Moon」。

本当に25年くらいは聴いていなかった曲。

でも、ちゃんと聴けば思い出せる。

その当時の記憶も一緒に蘇る。

あの頃、、会計士を目指して勉強していた真っ只中。

なんか、とても心に来る。

短い曲だけど、、、こんな曲、僕も書きたいなあ。。

ちょうど、僕のラジオ番組の「ぼくのミューミュジック自慢」のコーナーでユーミンを取り上げるので、、、なんの曲をかけようかな。。

楽しみだ。
2018.04.16

たまには。。

今日はレコーディング。

前回、あまりにも下手すぎて収録できないままタイムアップとなった僕のギター録りは、予定よりも1時間以上も早く終了した。

その浮いた時間を利用して、出来たばかりの曲のデモ音源をレコーディング。

今日は歌を歌うスイッチを切ってスタジオに来たので、、急に歌を歌うようになって無理やりスイッチオン。。

でも、温まるのに真空管アンプの100倍以上の時間を要する僕の喉は、、予定以上のテイクを繰り返してやっとセカンドギアに入った。

で、サードギアにシフトする前に、「まあ、デモだし。。こんな感じでも致し方なしか。。」というモヤモヤ感が残る感じで、デモ音源のレコーディングが終了。

まあ、、この曲はアルバムには入れない可能性が極めて高い。

残りの時間は、前々回にレコーディングした曲のTD(トラックダウン)。

こちらは、エンジニアのS君の素晴らしいミックスに、、一同感動。。。

プロデューサーも、S君のミックス作業の前にシーフードミックスカレーを食す。

いずれもご満喫。

僕もコントロールルームの司令席に座って、プロデューサー気分を満喫。。

こういうのも、たまにはイイでしょ。
2018.04.14

歌が歌になること

曲作りで壁にぶち当たってしばらく経った頃。

「歌はひねり出すものではない。先に伝えたい思いがあって、それが歌になるんだ。」

と、プロデューサーが言った。

頭で分かったつもりでも、その意味を本質から理解することはできなかった。

来週火曜日オンエアのラジオ番組のゲストは、株式会社ユーグレナの代表取締役社長、出雲充氏にご登場いただく。

出雲氏の話は、極めて論理的でありながらもユーモアに満ち溢れ、そして説得力があり、伝えたいことが明確だった。

そして、その伝えたいことは、必ずしも一つではなく沢山あるのに、実に完結明瞭に僕の頭にインプットされた。

その出雲氏の話が僕の心を動かした。

収録の直後に、歌詞のイメージが浮かび、メロディーが降りてきた。

出雲氏から受け取ったメッセージを、歌を通じてもっと沢山に人に伝えたいと思った。

今まで味わったことのない不思議な感覚だった。。

ブラッシュアップの必要性はあるものの、僕はその2日後にはほぼ曲の骨子を完成させていた。

あれだけ、3週間もの間、ろくな曲をかけないまま踠いていた自分が、曲のクオリティーの程度はさておき、たった2日程度の時間で、自分でも納得できる曲が書けたことに驚きだ。

先のプロデューサーの言葉が頭を過ぎった。

なるほど、、こういうことか。。

何かを見かけたり感じたりした時、人はよくこういうセリフを吐く。

「これは、歌になる。」

歌は書こうと思えば、いくらでも書ける。

でも、それが歌になるかどうかは別問題だ。。

矛盾している表現のように思えるが、正しい表現だと思っている。

例えばの話、、、時折抜け球がありながらも、5回まで試合を作っていた藤浪投手。。ところが、6回の投球で突如乱れる。。

その乱れ方は、連続のフォアボールと投手自らのエラーも絡む独り相撲。

貴重だった阪神の1点のリードはどこかに埋もれてしまい、あっという間に試合は大味なワンサイドゲームと変わってしまう。。

見ているファンは、きっとこう呟くに違いない。

「こりゃ、試合にならない。」

もっとも、藤浪投手の例えは、それが現実に起きたりするもんだから余計に腹立たしいのだが、、、それにしても、野球の試合としては成立していて、試合は実際に行われてる。

でも、ファンは試合にならないという。

歌は書けたけど、歌じゃない。。そう、歌になっていない。。

試合にならないことと、僕から見れば同義だ。

先に伝えたいことが心にあれば、歌を書けばそれは必然的に歌になる。

出雲氏の話は、僕の心に歌を通じて伝えたいことを刻んでくれた。

だから歌になった。この曲がアルバムに収録されるか、日の目を見ることのない企業応援ソングで終わるのか、どうであれ歌になったことは自分でも嬉しかったしその実感があった。

久しぶりの実感だった。



さて、次に伝えたいこと、、、まだ僕の心の中には見つからない。。。

だから今の僕に次の曲を書ける目処はたっていない。

伝えたいことがなければ、探すしかない。探し出すことと捻り出すことは全く違う。

だから、僕は今日も村上春樹を読んでいる。

村上春樹の小説から、伝えたいことが見つかるかどうかは、全く見当もつかないが、、今の僕には出来ることをやるしか選択肢はない。

ところで、今日も阪神は、好投していた秋山を見殺しにするような、、試合にならないような試合をしていた。

試合を試合にするには、、必要なのは、、なんだろう。。戦う気持ちか、、選手の技量か、、。。

いずれにしても、、野球も音楽も、、プロの世界は甘くない。
2018.04.12

まさか

小泉元総理大臣が言った。人生には三つの坂があると。

のぼり坂、くだり坂、そして、まさか、だ。

僕は拙い自分の人生経験の中で、そのまさか、を何度も経験してきた。

僕だけではない。みんなそうだろう。

その教訓としていつも思っていることがある。

「良い時はずっと続かない。」

世の中が平和な時、景気が良い時、人間関係が良い時、、誰しもがその良い状況がずっと続くと思ったりする。。

いや、言い方を変えれば、ずっと良い状況が続いて欲しいという潜在意識が、勝手にその状況があたかも永遠に続くかのような夢を作り出す、という方が正しいかもしれない。

その裏返しに、ずっとその良い状況が未来永劫続かないことくらいは、誰もが心の奥底で気が付いている。

それでも、例外として、こればっかりはずっと良い状況が未来永劫続くのではないか、と思ったことがある。

人々はバブル時代に、土地神話を作り出した。これもある意味、例外として誰もが信じていた分かりやすいケースだ。

土地の時価は永遠に上がり続ける。。。冷静になって考えれば、ありえない話だ。それを信じていた。

ありえないとわかっていながら、ありえないがあり得ると人々が思い始めた時、それは「神話」と呼ばれるようになった。。。



1998年に日本に帰国してKPMGコーポレイトファイナンスという会社に入って3年が経った頃。

時代は21世紀を迎え、世の中は光と希望に満ち溢れていた。

会社は好業績が続き、僕たちもその恩恵に預かり、それなりの賞与の支給を受けた。

会社にいるメンバーは少数精鋭で、ターンアラウンド(入退社による人員増減)も殆どなく、みんな能力の高いメンバーばかり。

日本のM&A市場は拡大が予想され、景気の良し悪しに関わらず仕事の依頼はひっきりなしに舞い込んだ。

僕たちは、国内の業界再編、再生案件、売却案件、さらには国内のみならず日本企業による海外企業の買収案件の実績も豊富だった。

沢山の大手クライアントからの信頼も高く、何よりも当時世界6大監査法人の一つだったKPMGという強力なブランドがバックにあった。

鬼に金棒。まさに自分たちの隆盛を遮る要素は見つからず、「僕たちの隆盛は、どう考えても未来永劫続くのではないか」と思えた。

自分の中で、神話を作り上げた瞬間だった。


僕が神話を作った瞬間に、必ずと言って良いほど、その神話は崩壊の道をたどり始める。

つまり、僕がそう感じる瞬間がまさに”ピーク時”ということだ。

2001年12月末、世界を揺るがした不正会計事件をきっかけに米大手エネルギー会社のエンロン社は破産宣告を受けた。この事件を契機として、その翌年コーポレートガバナンスの強化を目的に企業改革法(通称、SOX法)が施行された。

米国でのSOX法の導入により、日本でも同様の法律が施行され、監査法人は監査クライアントに対する監査以外の業務の提供が禁止された。

つまり、M&Aアドバイザリー業務の提供ができなくなったのだ。

僕たちの主たるクライアントは、KPMGの監査クライアントでもあったので、その影響は決して小さいものではなかった。

何かの歯車が狂い始めていた。

今まで辞めると思っていなかった人が、一人、二人と会社を去っていった。

ブランドをライセンスしていた親会社である監査法人も、僕たちの会社に対する縛りを強めていった。

最終的に、KPMGコーポレイトファイナンスという会社は、三つに分裂することになる。

一つは、KPMGのグループ会社としてM&A業務を集約したKPMG FASという会社への移籍。大半のメンバーはこの道を選んだ。

二つ目は、そのまま会社に残るメンバー。会社はKPMGブランドではなく、新しい社名で再スタートを切った。

そして、三つ目が、、GCAの創業だった。今もGCAの代表を務める渡辺氏と僕の二人がこの道を選んだ。



2008年、GCA創業から4年半が過ぎた頃だった。会社設立後、わずか2年半でマザーズ上場を果たした僕たちは、勢いそのままに米国の独立系M&Aブティックであるサヴィアン社を買収した。買収対価は、800億円。全てGCAの株式で払った。

サヴィアンとの統合後も、業績は好調だった。その好調ぶりは、それがずっと続くかのような神話を、僕の心の中で気づかないうちに作り上げていた。

そして、予想通り神話の崩壊は始めるのである。

2008年秋に勃発したリーマンショック。。。

会社は、その前年までの好業績とは裏腹に、2009年には赤字決算を余儀なくされた。

先月、僕のラジオ番組のゲストとして渡辺氏に出演してもらった際、渡辺氏にとって一番辛かった出来事として、この頃のことを挙げていた。

詳しい話はいつかまたブログでも書ければと思うが、このリーマンショックもまた誰しもにとっての「まさか」であった。



さて、人は今日も道を歩んでいる。

それが、平坦な道なのか、のぼり坂なのか、くだり坂なのか、、そして、今この瞬間に「まさか」に遭遇している人もいるかもしれない。

でも、僕は思う。

「まさか」は、真っ逆さまの略ではない。「まさか」が極端な下り坂だと決めつけることもない。「まさか」という梯子でも登れないくらいの急なのぼり坂をエスカレーターで登っていく可能性だってある。

それを期待して生きているわけではないけど、、何が起きるかわからないという意味では、エスカレータも「まさか」だ。

今、僕は曲作りに没頭し、もがき苦しみ、本当に自分にもう一度曲が書けるのかと、不安になる日々を過ごしている。

いい時がずっと続くのでは、という神話を作り上げた時、その神話の崩壊は始まる。

今の苦しみがこの先ずっと続くのではないか、という神話を作ったとすれば、、、。

神話は崩壊の道をたどり始め、、やがてトンネルの出口から射し込む光を目にすることを、、ただたた願っている。
2018.04.11

ドラマ

朝の8時半から会議に電話で参加する。週に一度の定例の会議だ。

会議を終えて出かける準備をする。今日も篭り場に向かうためだ。

篭り場とは、僕が平日に会社と自宅を不在にしている時間の大体80%くらいの時間を過ごしている部屋。

篭り場には、外部の人間を招き入れたことは殆どないし、そもそも、僕にそういう篭り場があることを知っている人も少ない。

そして、その篭り場がどこにあるか、ということも親しい人間でなければ自分から言うことはない。

篭り場に向かう途中。

車からの景色は平和だ。時折、瞬時にして吹き抜ける突風のような春風を除けば、、だが。

目に見える日射しは、春のそれを象徴するかのような柔らかさを醸し出している。

春ウララ、のウララの意味を僕はよく知らないのだけど、、ウララという表現は確かに似合う。。

街は、専業主婦の人たちが洗濯を終えるにはまだ早い時間だからか、ご老人達の散歩には遅すぎる時間だからか、、歩道を歩く人の数はまばらだ。

信号待ち。青に変わって動き出した次の瞬間、突然車のオートワイパーが作動し、フロントガラスを黒いゴム製の細長い物体が音を立てて目の前を一往復する。

何かと思ったが、、霧のような雨がワイパーが一往復した後のフロントガラスに張り付いているのが見える。

「雨だ。。」

と思った瞬間、ワイパーは次の一往復を始め、しばらくすると、そのワイパーの往復がいちいち数えていられないほどの連続動作へと移行した。

突然の雨に、道を歩く人も自転車に乗る人も、一様に顔をしかめ、いつもよりも動きが速くなる。

歩道では、園児たちの散歩途中の保母さん達が、どこか雨宿りできる場所がないかと、辺りを見回している。

でも、急いで園児達を雨しのぎの場所まで連れて行くのは簡単ではなさそうな雰囲気に、保母さん達は半分諦めの笑顔を浮かべていた。

車の中の僕は、、、まさしく傍観者のようだ。。

雨は、、程なくして止んだ。。。


夕方、会社での会議を終え、その会議が長引いたことをいいことに、出席するはずだった経済団体の講演会をサボって家に帰る。

家に着くなりスーツからジーンズに着替えて、再び出かける。

自宅近くのバス停でバスを待つ。

僕がバス停に到着した時、ちょうどバスは停まって扉も開いていたが、、行き先が違った為、全員が乗り込んだバスを見送る僕は、必然的には一番手に乗り込む位置でバスを待つことになった。

バスを待つ間に村上春樹の小説を広げ、読み始めた、、、その瞬間、聞きなれない音を耳にする。

バスッ、、ゴン。。。

ゴン、、と言っても金属音のような無機質な音ではなく、どこか柔らかい音のゴン、、だ。

顔を上げると、、、片道一車線ずつのバス通りのちょうど中央線付近に、合成皮革製のように見える黒いキャップが落ちている。

そして、バス停の3メートル横から、そのキャップを如何ともしがたい表情を浮かべてみている少女が立っている。

どうやら、彼女が被っていたキャップが、春の突風によって車道中央付近まで飛ばされたようだ。

少女は、車通りが一瞬途絶えた隙を狙ってそのキャップを取りに行こうと歩道から車道へ足を踏み出そうとしているが、、その足は何度も躊躇し、、そうしている間にまた車が複数台連続してやってきた。

僕は、キャップが車のタイヤに轢かれてしまわないかと心配になった。

その場所さえキャップが移動しなけば、轢かれることはない。。

でも、またいつ風が吹いて、、それがちょうど車道の見えない轍にはまってしまわないかと、、心配した。

少女は、両手を顎の前で組んで心配そうに見つめている。

次の瞬間、走ってくる車が一瞬途切れる。

僕は、バス停の一番手の位置から車道へ4歩踏み出し黒いキャップを拾って、そして彼女に歩み寄って手渡してあげた。

おおよそ黒いキャップが似つかわしくない服装をした彼女は、マスクの下で僕には聞こえないくらいの小さな声で「ありがとう。。」と言った。

正確に言うと僕には聞こえなかったが、、僕はそう解釈した。

キャップは、、やはり合成皮革製だった。


1分間もない、、ほんの一瞬の出来事だった。。

でも、ドラマがあった。。誰にも興味を示さない小さな小さなドラマかもしれないけど。。。

確実にドラマがあったし、、僕はそのドラマの世界の中に入った。。

ドラマは、たとえ小さくても人の心に優しさとか、潤いとか、何らかの変化をもたらす。

おそらく、僕があの時バスを待つのではなく、自分の車で移動していたとすれば、、そしてフロントガラス越しにこのドラマに遭遇していれば、、、、僕はまた傍観者だった。

そして、このドラマに僕は無関係だった。

車の中からは、外で吹いている風を感じることもなければ、雨に濡れることもない。

全ては、ガラスの向こうの出来事で終わる。そして、何も無かったように記憶は消えてゆく。

心が渇いたり、凍えたり、、変化が必要であれば、、ガラスの扉の向こうへ踏み出すしかない。

踏み出せば、、ドラマが待っている。
2018.04.10

個性的であること。。

去年の3月、ヨーロッパに出張した時のこと。

僕は、タクシーの車窓から目に映る風景に心を奪われていた。

メインストリート沿いの古い石造りの建物。その建物に施された彫刻や、公園の至る所、橋の欄干に設置された大きな銅像。

特に、久しぶりに訪れたパリの街は、若い頃に訪れた時には感じなかったほどの感動を与えてくれた。

街並み自身が絵画であり、演劇であり、音楽を奏で、そして、圧倒的に個性的だ。ただ、古いだけではない。

それは、ロンドン、ミュンヘン、フランクフルトと街を変えれば、個性の度合いこそ違えど、それそれが違う街の表情を見せてくれた。

まともな夕食も取れないほどの強行スケジュールの欧州出張だったけど、久しぶりに芸術的な感性に刺激を受けて僕の心は満たされた。



昨日の月曜日。。。普段は午後の遅い時間に行われるラジオ番組の収録が、この日は珍しく朝から行うことになった。

ゲストの方がとてもお忙しい方なので、ピンポイントで何とか時間を空けてもらえたのがこの朝の時間だったからだ。

3月まで収録場所に使っていたスタジオは、オシャレな街にある割と新しいオシャレな建物の中にある、、都内でも指折りスタジオだった。

セキュリティーが完璧な入口を入り、エレベータに乗り込む。目的階についてエレベータを降り、塵一つ落ちていない廊下を五歩歩いた距離にある扉を開ける。その先は、付き添い用の待合室のようなスペースで、コート掛けと小さなソファーが。その先、防音用の重い扉を体の反動を使って開くと、、そこはコントロールルームだ。

コントロールルームは、横に長い長方形の大きな部屋。その正面には、部屋の端から端まで隙間なく据え付けられたレコーディング用の装置が。まるで飛行機3台分のコックピットを並べたような存在感だ。

左側にはレコーディング用のブースへと続くドアがあり、壁にはレコーディングブースがよく見渡せる窓ガラスがある。

部屋の中央部には打ち合わせ用の大きなテーブルがあり、鉛筆類やメモ用紙など、打ち合わせに必要な道具もテーブルの上に揃っている。

その手前には、壁沿いにゆったりと座れる応接用のソファー。

再びコントロールルームに背を向け、外に出る。正面に三歩、右に角度を変えて三歩歩くと、左手にトイレがある。汚すことが許されない雰囲気を醸し出すほどの清潔なトイレだ。

トイレの手前には、タダで飲めるコーヒーマシンまで設置されていた。

まさに至れり尽くせりだった。

初めてラジオ番組を持つ僕に、周りに人たちは「ヒロさん、これがスタンダードだと思ったらダメですよ。」と何度も言われた。

そう言われても、他に比較対象を持たない僕は、「これが僕にとって人生初の収録スタジオだし、唯一僕が経験している収録の現場。つまり、僕にとってのスタンダード。」と勝手に思い込んでいた。



4月からの収録場所は、高架式の線路脇のビル。電車のすれ違う音が窓を閉めていても聞こえてくるような場所。

雑踏にまみれた雑居ビルの4階にあるスタジオだ。

コントロールルームにソファもあるし、打ち合わせ用のテーブルもある。なんの不自由もない。

ないのは、タダで飲めるコーヒーマシンと、汚すことを許さないだけのトイレの威圧感か。

しかも、若干のイレギュラーステップが必要なため、たどり着くための歩数も正確に数えられない。

でも、ここには、、、歴史がある。

街並みのような大きなものでなくても、スタジオ一つ取ってみても、味がある、綺麗である、、それぞれに個性がある。

特に、この4月から使用しているこのスタジオ。歴史があるということは、、、単に古いと片づけられるべきものではなく、歴史があることの意味は、決してお金で再現できないものがそこにある、ということを意味すると僕は思う。

この歴史あるスタジオの待合室の壁には、錚々たるメジャーアーティストのポラロイド写真が所狭しと、でも重ならないように整然と貼り付けられている。日本のアーティストだけではない。海外のかなりの知名度のアーティストの写真まで貼ってある。

残念ながら、日本のアーティストはまだ判別は可能だが、、海外アーティストは言われてみないと全く僕にはその凄さが理解できなかったが。。。

機材もレコーディング室内も、コントロールルームも、確かに古い。さらに、レコーディングのブースは、3月までに使用していたそれを比べて広さは5分の1くらいの広さで、はっきり言って、、狭い。

でも、嫌な感じは全くしないどころか、むしろ、居心地は頗るいい。古いなりに清潔感があって、そして何よりもとても落ち着く。。

まさに僕が座る椅子は、僕が憧れたアーティスト達が座った椅子でもある。

そう考えるだけで、とてもエキサイティングな気持ちになる。

それは、どんなに綺麗で新しいスタジオでも、お金でそれを再現することはできないだろう。



3月までのスタジオと、4月からのスタジオ。横並びにして言えることは、「どっちがいい」ではない。「どっちも好き」だ。

それぞれに、語るに値する特徴があるということが大事だと感じる。言い換えれば、”こだわり”があることが素晴らしい。

そして、それは個性的であるということだ。

ミュージシャンとして、人として、僕もそうありたいと思う。でも、歴史はすぐには作れない。焦ってもダメだ。

避けたいのは、「どっちでもいい」存在だ。「どっちでもいい」は「いなくてもいい」と同義だとすれば、、、とても恐ろしい。。。

家、車、ビル、街路樹、それらを包み込む東京の街並み、風景。。

似たようなビル、似たような車、似たような歩道、道路看板、、、。

丸の内、赤坂、虎ノ門、渋谷、、それらをまとめて大東京。。。着工から数ヶ月後、、あっという間にガラス張りのビル達はその姿を形として現す。

今の大東京は、建築家や設計士の方には大変申し訳ないが、新しく建つビルは僕たち一般人から見れば、どれもこれも同じガラス張りのビルに見えてしまう。

もしかしたら、一つ一つのビルではなく、それらが林立した街並みが一つの個性を作り出すのかもしれない。

少なくとも、近代化されたガラス張りのビル群の街並みには、、、確固たる歴史はまだ根付いていない。

今から作られていくだろう。

近代化されIT化されたガラス張りの高層ビルが林立する東京の街並みに、、、100年後の人たちは何を感じるのか。。。



最後に、、僕は地方都市が好きだ。

日本にも、地方に行けば他の都市にはない個性的な地形、そして街並み、、そして、こだわり。。それらが、まだ沢山残っている。

僕はそういう街が好きだ。。。僕も、ずっと、そのようにありたい。

大都会でなくても、、、メジャーじゃなくても。。
^
TOP