加藤ヒロ 公式サイト

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2020.12.12

競走馬移動中

ラジオの収録を終えた翌日、この日も朝から晴れた空の下、東へと車を走らせる。

相変わらず新幹線には乗らない、車移動の生活が続く。

おかげでこの半年に走行距離は格段に伸びた。

僕は高速道路から目に映るフロントガラス越しの景色を眺めながらのドライブが大好きだ。

だから車移動が苦にならない。

気のせいか、今年は高速道路の両脇に連なる、なんてことない山々の紅葉がやけに綺麗に映る。

例年であれば、12月の中旬ともなれば木々の葉っぱは枯れ葉となってその枝から散ってしまっているはず。

そんな寂しい景色になるはずの季節だが、今年は秋が長いのか??、ほぼ全ての木々に元気な葉っぱがまだ残されているようだ。

連なる山々の色のベース色は、燻んだ杉林の深緑色だ。

その燻んだ深緑が広がる中腹には竹林が点在し、僅かに黄色味がかった緑に変色している。

そして、広葉樹が集まる一帯は、その大きな葉をオレンジに近い褐色に染めている。

遠目で見ていると、なんだか昔の太陽ホエールズのユニフォームの色合いに見える。

綺麗と言えば綺麗なんだけど、、なんともインパクトに欠ける景色だ。

その中に、色鮮やかに紅く染まった紅葉の木が映えるように浮かび上がると、紅葉の景色は一枚の絵画として成立する。

そんな景色を見ながら車を走らせる。

新東名の清水PAを超えた辺りから新富士ICまでの区間は、フロントガラス越しに富士山をほぼ正面に目にすることが出来る。

その優雅に聳え立つ富士山の姿は圧巻であり、何よりも美しい。

しかし、山頂にほとんど積雪が確認できない。

11月の始めの頃は白く冠雪していたのに。

それにしても、新東名ができて随分と車での移動も楽になった。

感覚的には、昔の東名を走って東京・名古屋を往復することと比較すれば、所要時間もかなり短縮され、道路もゆったりしている為か感じる疲労度は昔の半分くらいで済む。

何よりも見える景色が素晴らしい。

左側の走行車線には、大きなトラックが連なって走っている。

僕は追い越し車線に出てその大きなトラックの塊たちを追い越していく。

「競走馬輸送中」。

そうか。。競走馬も全国各地のレースに出る為に長い距離を移動してるんだ。

週明けから日本列島の空は寒気に覆われ、一気に気温が下がるみたいだ。

これでまた富士山の山頂も真っ白に冠雪することだろう。

競馬も年末にかけて開催される数々の重賞レースに向けて盛り上がるに違いない。

お馬さん達もお疲れ様だ。

いつもの12月と変わらない風景へと移り変わっていく。

いつもと違うのは、忘年会で盛り上がらない繁華街だけか。。。

天気図の所々に雪マークが貼り出されれば、いよいよ、寒くて長い冬が、、、始まる。

※ 写真は11月初旬の富士山。
2020.12.08

Season's Greetings!!

先日、今年もロックフェラーセンターのクリスマスツリーにイルミネーションが灯ったというニュースをみた。

ニューヨークでは11月の感謝祭が終わると、街は一気にクリスマスモードへと突入する。

僕がニューヨークが住んでいた頃も、この時期のニューヨークの街はまるで魔法にかけられたように華やかだった。

普段は行くこのないタイムズスクエアに行って大きな電光掲示板を見上げた夜を思い出す。

分厚いコートを着込んでマフラーはぐるぐる巻きに。

夜の空気は冷たく頬に張り付き、沢山の人が吐く出す息は白く街の景色を高揚させた。

気がつけばもうそんな時期だ。

年末ともなれば、誰にでも恒例行事のようなものがあるだろう。

それぞれのSeason's Greetings!の過ごし方がある。

年賀状を書いたり、大掃除をしたりと、煩わしい行事もその典型例ではあるが、懐かしい友人と会ったり、人によっては海外旅行に出かけたり、楽しみもまた多い。

そんな年末に向けて色々と考えないといけないことも出て来そうな時期だけど、今年は今一つ年末感が湧いてこない。

僕も大体12月あたりに地元広島でのワンマンライブを入れて、その日程に合わせて中高時代の友人と会って食事をしたり、ゴルフをしたり、その時期ならではの過ごし方を楽しんできた。

でも、今年の年末はライブの予定もなく、広島にも行かないつもりだ。

この1年間、確かに時間は流れて、僕たちはその流れの中で確実に人生の歩みを進めて来たはずなのだけれど、ちょうど1年前の12月にプロデューサーの安藤さんと早稲田にある穴八幡宮に「一陽来復」のお守りを貰いに行ってから1年が経ったとは到底思えないほどの時の流れの速さだ。

まさにポッカリと1年分の時間が、破れたポケットの隙間からどこかに抜け落ちてしまったようだ。

新しい年が来ても暫くは以前のように誰とでも気楽に会って、話して、笑って、酒を酌み交わすような生活はすぐには戻ってこないみたいだ。

ともすれば気持ちが沈みがちになりそうだけど、少しでも新しい年が良い年になりますようにという願いを込めて、今までのやったことがない”New Year Live”をやってみることにした。

会場は定員の半分以下の人数制限はかかるけど、生配信もやる予定。

新年早々の三連休の初日(1月9日)の夜に、少しでも元気になれるような、そんなライブをやりたいから。

アーカイブもあるので、出来るだけ沢山の人と一緒に新しい年を祝うことが出来れば、、、。

どうぞ宜しくお願いします!
2020.11.26

ヤバい奴やん!

ラジオの月1企画のカバー研究所。

12月下旬に収録予定の曲をそろそろ練習しようとコード譜を取り寄せる。

見てみると、、なんと、、難解なコードがずらりと並んでいるではないか。。

普段は目にしないバレーコードのオンパレード・・。

これをこの早いテンポに合わせてコードチェンジしろというのか。。

これ、、、ヤバい奴やん!

案の定、2日目で左手が悲鳴を上げ始め、、、即座に左腕の4箇所に鍼パッチを貼る。

これで、、ちょっとはマシか。。

収録まであと3週間ちょっと。。

果たして間に合うのか?

曲を習得するのが先か、腕がヤられるのが先か。。。

やっぱ、、、これ絶対ヤバい奴やん!


さて、本日。。明日のラジオの収録のため名古屋に前乗り。

静かに過ごす一人の夜。

貴腐ワインにチーズにメイプルローストカシューナッツ。。

いつものスーパーに出かけて、誘惑に勝てずに買ってしまった。。

ああ、、これ毒な奴やん!

今日もレッドライン越えか。
2020.11.25

なんで?

「なんで??そりゃ、ないでしょ!」

メガネをかけて、もう一度デジタルで表示された数値を凝視する。

日課になっている風呂上がりの体重測定。

なんと、自分で設定しているレッドラインを0.9Kgも超えている。

レッドラインは、超えなければいい、という話でもなく、それに近づくだけでもちょっと自戒の念を強める必要があるのだが、一気にそれを1Kg近くも超過してしまうと途方に暮れてしまう。

こんなことは初めてだ。

ま、でもヘルスメーターからしてみれば、「なんで?」と聞かれたところで、「自分の胸に手を当てて考えてみたら?」としか回答できないだろう。

なので、自分の胸に手を当てて考えてみる。

なんでだ。。。

まあ、考えるまでもなく、その理由にたどり着く。

そうなんだよな。。

焼肉に行っちゃったんだよな。

しかも、週に2回も。。。

特に2回目の焼肉は、接待していただいたものだから、最後のシャトーブリアンのサンドイッチまで綺麗に完食しちゃったんだよな。。

美味しかったな。

その後、3日かけてレッドラインをようやく下回る。

そして、昨晩。また、レッドラインを超えてしまった。。

今度は何???

あ、、ナッツだな。

味噌味のナッツ、一袋を全部食べちゃったからだな。。

体って、、正直だ。

なんか年とってくると如実に数値に表れる気がするな。

まあ、今年は忘年会シーズンもあってないようなものだから、、まあ、いいか。

でも、暴飲暴食は免疫力を下げるって言うから、皆さんも気をつけて。

僕も、、気をつけます!
2020.11.15

転換期の中で

ここにきて、また新型コロナの感染者数が増え始めた。

夏の第二波の時にはそれほど重症者数が増えなかったのが救いだったけど、今回はちょっと様相が違うのかも知れない。

改めて注意しないといけない。

ソーシャル・ディスタンス、テレワーク、ZOOM会議、ワーケーション、渡り鳥生活・・・。

新型コロナウイルスによってもたらされる社会的な構造変化が、果してどのような形に落ち着くのかを見定めるには、もう少し時間が必要だろう。

それにしても、新型コロナに関係なく、そもそも世界は大きな節目を迎えているのかも知れない。

民主主義や資本主義といった戦後の先進国にとって基軸ともなっていた社会的仕組みさえも揺らぎ始めているように見える。

今や日本企業で世界の時価総額ランキングの50位以内に入っているのは、トヨタ自動車だけ。

自社株を対価にM&Aを活用し拡大・成長してきた欧米企業を横目に、日本企業には制度上の問題もあってか、自社株を活用したM&Aを活用してこなかった。

そうこうしている間に、この20年で規模では圧倒的な、そして取り返しのつかない程の差をつけられてしまった。

中国は、国を挙げて経済に取り組んでいるわけで、お金や人材等その投入するリソースの規模は、もはや日本の一民間企業が対抗して敵う相手ではない。

僕はずっとM&Aを通じて日本企業の成長をサポートさせて頂くという仕事をしてきたが、今の日本の現状を踏まえて先を見据えた場合、日本企業が世界の中で生き残りをかけて進むべき選択肢は、もはや限られてきているのではないかとさえ思う。

量ではなく、質。ニッチでも構わないが、代替性のないもの。

色んなものが転換期に来ている。



また、企業の在り方についても量から質への変換が必要だと感じることが多い。

終身雇用による社員一人ひとりを守る仕組みは既に崩壊しているというのに、まだ働き方改革は本質的な変化をもたらすまでに至っていない。

集団的な目標やノルマをクリアするために、みんなで力を合わせて頑張ろう!なんていう方法は時代遅れ感さえ感じる。

僕がよく言う提言。今のサラリーマンとしてお仕事をしている人のうち、例えば10%でもいい、それらの人が個人事業主となって会社と業務委託契約を結ぶ働き方が一般化すればいいのに、と思っている。

新しい雇用型の業務委託契約とでも言おうか。

もちろん、それなりの技術とか、ノウハウとか、あるいはそれらを表章する資格のようなものが必要かも知れない。

労働時間の対価ではない。

それらを活かして価値を創造し成果を上げ、対価を受け取る。

会社から拘束時間の対価としてお給料をもらう考え方は捨てなければならない。

新型コロナは、間違いなくその変化への背中を押したと思う。

成果が上がれば、報酬も上がる。

大学を卒業した時点で、大凡の生涯所得が計算できるような社会ではやる気も出ない。

遅刻をしないとか、勤務態度が悪いとか、もちろんそれらは社会人として大事なものであることに違いはないが、そういうものをモニタリングし、評価をする仕組みではなく、もっと結果にコミットする成果主義に移行した方がいい。

個人事業主になれば、優秀な人であれば余った時間を使って競合しない範囲で副業することもできる。

加えて、それらの自分のビジネスのために必要となる様々な支出が促される。

それは税務上の損金算入が可能だ。

僕だってそうだ。

大変申し訳ない話ではあるが、会社の接待で使うお店にポケットマネーでそうそう頻繁に行こうとは思わない。

ビジネス、つまりそれを上回る効果が期待できるという費用対効果の世界。

損金算入による税効果が享受できれば、結果として個人の可処分所得は上昇する。

世の中の経済効果も決して小さくはない。

僕は元々会計士だけど、独立して個人事務所を開業した友人は皆んな給料は下がったけど可処分所得は増えた、と口を揃える。

個人支出が増え世の中の経済効果が上がれば、国の税収だって増える。

一見、所得格差が広がるように見えるかも知れない。

難しい問題だ。

でも、低所得の水準を下げない仕組みを工夫すれば、その上で広がる格差は社会的には受け入れなければならない局面があるのかも知れない。



さて、占星術の世界では、今年の12月21日を境に今までの常識が覆るほどの構造的な変化が生まれると言われている。

何が起きるかわからないけど、、一人ひとりが新しい世界を見据えて変化を起こしていかなければ生きていけない時代が来るのかも知れない。

僕もちょっと、、ドキドキしている。
2020.11.07

そろそろ行きますか。。

ここんとこ、ずっと考え込む時間が増えていた。

どうやら、色んな事を考えなければいけない状況に置かれているようだ。

振り返ってみると、僕の場合、社会に出てからざっくりだが5〜7年周期で環境が大きく変わる人生を送ってきた。

大学を卒業後、単身渡米し6年間をニューヨークで過ごした。そして、日本に帰国してから6年後に大手会計事務所を辞めて共同で会社を立ち上げた。

その7年後に、今度は何を思ったかボイストレーニングとギターを始め、その5年後にはその音楽活動に本格的に取り組み始め、2年たった頃にプロデューサーの安藤さんと出会った。

それが2017年のこと。

そう、つまり音楽活動を本格的に始めてから、もうそろそろ5〜6年が経過する時期に来ている。

来年か再来年あたり、僕はまた環境が大きく変わる様な選択をするのだろうか。

今度はいったいなんだろう。

そんな胸騒ぎの中で、考える時間は決して楽ではない。

あまりにも世界が急激に変わり始めている。

多くの人が通勤しない働き方、外出時にずっとマスクを着用する世界、画面越しに人と会うのが当たり前の世の中。。

そして、音楽と無縁だった僕が音楽をやっているという事実。

まったく、人生なんて本当に分からないものだ。

想定外のことばかりだ。

だけど、そんな分からない世の中だからこそ面白い、と言える自分でいたいものだ。

”安泰”なんて言葉は、この時代にあっては何の約束事にもならないし、何の気休めにもならない。

しかし、変化を恐れてはいけないことは分かっていても、何かが変わっていくことに人間は臆病になりがちだ。

思い通りにいかないことがあまりにも多すぎる。

でも、何もかもとんとん拍子でコトが運ぶ世界なんて、なんてつまらない世界だろう。

思い通りにいかない時、辛い時、苦しい時、じっと耐えるしかない。

必ず潮目が変わると信じて。

その時までに過ごす時間が辛ければ辛いほど、苦しければ苦しいほど、潮目が変わった時に生まれ変われる自分はきっと大きくなれる、優しくなれる、ということを、今更ながらに教えられた気がする。

さあ、そろそろ潮目が変わる頃だ。

次の節目を目指して、歩き出すとしよう。

この道の先には、きっと富士山のように高い山が待っている。
2020.10.22

夏が終わり、秋が来ても。。。

ちょうど2年前の10月のこと。

当時、僕がパーソナリティーを務めていた東京FMのラジオ番組に、シンガーソングライターの秦基博さんがゲストとして出演くれた。

ちょうど「花」というタイトルのアナログ盤シングルのリリースが決まったということもあり、そのプロモーションを兼ねての出演だった。

元々、秦さんは僕がギターを始めるきっかけとなった方でもあり、僕が自分で曲を書くようになったのも秦さんの影響だった。

まさかそんな憧れの人と本当にお会いすることが出来るのかと、その話が決まってからずっと胸の高まりを抑える日々を過ごしていた。

当日の秦さんは、朝から晩までラジオを中心に生でのメディア出演が目白押しで、移動中の渋滞も重なり、僕の番組収録には予定よりも少し遅れての到着となった。

「初めまして。秦基博です。」

やばい。本物だ。聞きたいことは山ほどあったけど、いざご本人を前にすると中々上手く聞くことが出来ない。

それでも、台本に沿って色んなお話をさせて頂いた。

僕が個人的に一番聞きたかったことは、インディーズ時代に秦さんが壁にぶち当たっていた時期に、それをどう乗り越えたのか、ということ。

秦さんは「自分ではいいと思って書いた曲をライブハウスで歌っても、思ったような反応が全然なくて。。それがずっと続くと、もう先が見えないような状況にもなったことがあった。」と話していた。

そんな時、「とにかく曲を書いたんです。書いて書いて、それでダメならまた書いて。そんな日々を繰り返していたら、ある日、事務所(オーガスタ)の方に声をかけられていました。」と。。。

なるほど。。。そうか!

曲を書いて書いて書きまくるんだな。。

その日以来、僕も曲を精力的に書くことにした。

と、言っても秦さんのようなペースで曲を書ける訳もなく、当時はまだ2ヶ月に1曲少しだけまともな曲が書ける程度の話。

そんな僕が、今年は新型コロナの自粛生活もあってか、ソコソコのペースで曲を書いてきた。

もちろん、そこそこ自分でもいいと思える曲もあれば、どうひっくり返しても駄作にしかならないシロモノもある。

どちらかと言えば、このシロモノの駄作の方が数的には圧倒的に多い。

そんな日々を送る中で、この夏に「渋谷行進曲」という映画の主題歌を書くというチャンスを頂いた。

期限は2週間。

映画の主題歌なので、全く自分の趣味嗜好で書く訳にはいかない。

ちゃんとテーマがあるのだ。

以前にウェブCMのテーマソングを書かせて頂いたことはあるが、それよりも難易度は数段上だ。

何と言っても、映画館のスクリーンにエンドロールと一緒に流れる曲なのだ。

その2週間、僕は苦悶の日々を送った。

書いてはダメ。書いてはダメの繰り返し。

与えられたテーマを複雑に解釈することしか出来ず、頭は混乱し、出口の見えない袋小路のような日々。

やっとの思いでプロデューサーに聴いてもらえる候補曲を2曲書いたが、自分でもダメだろうと分かるレベルの曲にしかならない。

当然、ダメ出し。

だめだ、、もう時間がない。。

これまでか、と諦めかけたその日の午後、僕はふと映画「蒲田行進曲」(1982年/監督・深作欣二)をプライムビデオで観ることを思いつく。

松坂慶子さんが着ていた赤いドレスの色が鮮烈に目に焼き付いた。

その夕方、普段は歩かない道を1時間半も散歩した。

途中、道路脇の花壇に咲く花々の姿が印象に残った。

翌日の朝、普段はやらないのに、起きたままの姿でPCの画面を開くと半分無意識のうちに徐に歌詞を落ち込んだ。

一人の女性の愛を、赤い薔薇と白いユリに例えるような詩だった。

その日、朝から車でいつものように篭り場へと向かう。

ところが、どうしても気が乗らず篭り場に行こうとしない自分がいた。

そして、朝からずっと神宮前から渋谷辺りを車でウロウロしていた。

その日も朝から灼熱の太陽が降り注ぐ、とても夏らしいよく晴れた空だった。

運転している間、最近は車で聴く機会が随分と減った秦さんの曲を流していた。

信号待ちをしていた時、とある一曲のメロディーに耳が留まる。

やけにその曲のコード進行感に共感を覚えた。

ヒントを得た僕は、急いで篭り場へと向かう。

秦さんの曲が耳に残る中、ギターを手に取り自分なりのコード進行を書き変えていく。

そのコード進行を、その日の朝に書いたばかりの詩に当てはめてみる。

すると、、出来た。。

こうして生まれた「赤い薔薇」という楽曲。

こうも簡単に曲というのは出来上がってしまうものなのか、と自分でも信じられなかった。

プロデューサーに送ると、すぐに返事が来た。

いい曲だ、と。

こうして、この曲が正式に映画の主題歌として採用されることが決まった。



あれから。。。夏が終わり、秋がやってきた。

あれ以来、曲を書く気にならない。

どうやら、今年の楽曲制作のエネルギーをあの曲に全部使い果してしまったようだ。

それでも、何とか気を持ち直して曲を書いてみる。

今日、久しぶりに書いた曲。

うーん。。

これは、、、どう見てもシロモノの”駄作”ですわ!
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