加藤ヒロ 公式サイト

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2018.05.30

クロノスの楽しい時間

朝、ハッと目を覚ます。

時計を見ると、、午前6時。

目覚ましのセット時間は6時20分。

ああ、、良かった。。

寝坊したかと思った。。

それにしても、ラジオもテレビもそうだけど、早朝の番組を担当している人は、いつもこんな朝を迎えているかと思うと、気の毒でならない。

慣れの問題かな。

目覚めの良し悪しはともかく、せっかく早めに目が覚めたので、早めに行動。

待ち合わせの8時よりも20分以上も早く東京・半蔵門にあるFM東京のスタジオに到着。

入り口のソファーに座っていると、僕よりも早い時間で登場していた脱サラして流しで生計を立てているという人が、ギターケースを持って僕の前を通り過ぎて出て行った。

前日の夕方、クロノスの番組予告で「明日のゲストは、脱サラして流しをしているミュージシャン」という紹介が中西さんの声で流れていたらしいので、「まさか僕?」と思ったが、やっぱり別人だった。。

まあ、、脱サラは実質的には僕も似たようなもんだし、流しというのも僕が酒場で歌っていないだけで、これもやっていること似たようなもんだけど。。。

7階にあるスタジオ、アースギャラリーに到着。

ここに来るのは、1月のスカイロケットカンパニーのゲスト出演以来。

いいなあ。こんな所で僕も番組やってみたいなあ、、と。。

でも、早朝の番組は、、そう、お酒好きな僕には無理です。

スタジオに入って、曲が流れている間に中西さんと雑談。

同い年とあって、色々とお互いの経歴を紹介しあう。。

そして、8時40分過ぎから生放送でのオンエア。

「今日のゲストは、M&Aの仕事を脱サラして、流しをやっている加藤ヒロさん」という紹介じゃなくて良かった。。。

7分ほど楽しくおしゃべりして無事に終了。

話の殆どはM&Aに関するちょっと真面目な話だったけど、ライブ告知もさせてもらったし、少しだけど僕の曲もBGMでかけてもらったし、、

いやあ、楽しい時間でした!

終了後の記念撮影。

皆さん、朝早くから、ありがとうございました!

2018.05.29

距離感

人と人との距離には、幾つかの対人距離というものがあるらしい。

親密距離は、とても親密な人同士が取る距離で0〜45㎝。相手の体温や匂いが分かる。恋人とか家族で自然と取られる距離か。

次に、個体距離で45〜120㎝。自分の独立性を保つために他人との間に取る距離。友人との間で取られる距離だとか。

さらには、社会距離というのは120〜360㎝で会社での同僚との会話や公式なコミュニケーションの場で取られる距離らしい。なるほど、会議室での人との距離も、もしかしたら面接の時の距離もこれくらいかも。

あとは、公衆距離といって演説や公演の時の距離。



20歳代の時にニューヨークで6年間過ごした後で日本に帰ってきて、改めて感じたことがある。

日本では、結構他人でも体を押し付け合う。

上記で言えば親密距離だ。

もちろん、ニューヨークで地下鉄通勤だった僕は、ラッシュ時には満員電車を何度も経験した。

日本のように時刻表に忠実に運行することのないニューヨークの地下鉄は、ラッシュアワーでは平気で途中で止まっては動き、止まっては動き、、

そんな朝は、やっと辿り着いた途中の停車駅から、また大量の人が乗り込んでくる。。。

それでも、ニューヨークの人達は、必要以上に体を他人に押し付けたりすることはなかった。

可能な限り、どんなに満員電車であっても、他人との距離を必ず取ろうと周りの人全員が心がけていたので、それが可能だったのだ。。

なにせ、通りで歩いていてお互いの進路を少しでも妨害しそうになった時には、必ず人々は "Excuse me” と言葉を交わす。

とても紳士的であり、礼儀正しいと思う。

さて、僕は今からちょうど20年前の1998年に日本に帰ってきたわけだが、バスや電車の中では他人同士でも体を押し付け合う慣行にとても違和感を覚えた。

と、いうよりも、好き好んで押し付けているというよりは、押し付けさせられているという方が正しい。

もはや、親密でもないのに、親密距離と取ることの苦痛さは、慣れるのに時間がかかった。

時には、親密距離はもはやマイナスの値に振れているのではと思うくらい。。

今では、、まあまあ慣れてしまったけど。。


ところで、人との距離はこのように色々あるのだが、最近僕はあるものとの距離感に戸惑いを思え始めている。

それは、、自分のスケジュールとの距離だ。。

昔は、頻繁に自分のスケジュールを確認していた。

その距離は、親密距離のようなもの。。

まずスケジュールを確認しなければ、次に自分が何をしなければならないのかの判断がつかなかったのだ。

そして、その日の予定のみならず、翌日とその翌日くらいの大凡の予定を頭に叩き込んでいたものだった。

忙しい時には会議と会議の間に休憩時間もなく、昼食を取る時間さえもない日も珍しくなく、先を見越して行動する必要があったからだ。。


今となっては、そこまで会議が連続することは逆に珍しくなってしまった。。

だから、一度みたスケジュール表を間違えて勝手に思い込んでしまったり、曜日感覚がずれてしまったり、、という事象が起きている。

例えば、、、今日僕は午前11時から鍼治療の予約をしていた。いや、はずだった。。

予約は、人に頼んでやってもらったのだが、なぜか僕は11時からと思い込んでいた。

なぜならば、午前中の鍼治療は大抵の場合は11時だったからだ。

そして、今日。。

11時に鍼灸院に着くために籠り場を出ようと準備が整った時に、ふと自分のスケジュールをPCで確認してみたら。。。

あれ??今日鍼って10時じゃん。。

さらに、前日にお願いしておいた今週水曜日の会食のレストランの予約は、曜日を間違えて今日の夜の予約をお願いしているし。。

これは、、ボケの症状か。。。

こうして、どんどんスケジュールとの距離が遠ざかって行く。。

もはや公衆距離のようだ。。

せめて、、明日の朝8時半過ぎから始まるTOKYO FM「クロノス」の生ゲスト出演の時間だけ間違わないように家を出発することを、、、祈るばかりである。

"Excuse me” と言って、、前に誰もいないなんてこと、、ないようにね。


<参考>東レエンタープライズ株式会社 人材サービスサイト(https://haken.toray-enter.co.jp/teco/detail/id=1283 )
2018.05.28

土曜日に続いて好天に恵まれた日曜日の午後、14時ちょうどに僕の車の中では、TOKYO FM 山下達郎の「サンデー・ソングブック」のオープニングが流れ始める。

この日は、ここのところ続いたギブソン愛好家の曲特集に続き、フェンダーの愛好家による曲の特集をやるという。

そういえば、この前番組中に、、どうせならフェンダーもやりたいね、と言っていた。

本当にやってしまう気ままさが羨ましい。。

さて、ラジオから流れる山下達郎の「Sparkle」を聞きながら、エンジンを切ると、曲は途中で途切れた。。

そう、もう14時過ぎだ。

甲子園の「阪神 × 巨人」戦は、山下達郎の「サンデー・ソングブック」の開始と同時にプレーボールがかかっている。

ソファに腰掛け、テレビ観戦。

阪神がリードする。。

気分が良くなる。。

ビールを冷蔵庫に取りに行く。

プシュ!という音をたてて、缶を開けてビールを喉に流し込む。

ああ、、幸せだ。。

これぞ休日。

阪神は快勝し、貯金を蓄えて交流戦に突入だ。。

ついこの前は借金でもうダメだと言っていたのに。。。

何でも波というのはあるというもの。

僕もそう。

阪神が連敗続きの時のように、僕だって何やってもうまくいかない時はうまくいかない。

だから、最近は大山がボール球に手を出して凡退する気持ちが良く分かる。

大山だって、打ちたくてボール球を打ちに行っているわけじゃない。

僕だって書きたくて駄作ばかりの曲を書いているわけじゃない。

その大山が、二戦連続の猛打賞だ。。

波は必ずある。。

僕にも、、猛打賞、、くるかな。。


それにしても、、ロサリオの気持ちまでは、、わかってやれないなあ。。

残念だけど。
2018.05.26

化学兵器

先月の事、、、シリアのダマスカス近郊でシリア政府軍が化学兵器を使用した疑いをめぐり、国連安全保障理事会でロシアとアメリカが大舌戦を繰り広げたことは記憶に新しい。

実は今日、とある場所で化学兵器を使用した戦争が、誰にも気づかれることなく繰り広げられたことを皆さんにご報告する。



場所は、、僕の山小屋の敷地内。

朝からカッコーの鳴き声が遠くから聞こえてくる。

木々の枝を鳥たちはさえずりながら飛び交う。

その合間に、いつものキジの雄叫びが響き渡る。

キセキセイは、、新しい縄張りを見つけたのか、、もういなくなっていた。。

天気は、柔らかな日差しが照りつけ、爽やかな高原の風が吹き抜けていく。

その度に、木々の枝がざわざわと心地よい音を立てている。

そして、数年前の夏に取り付けられたままになっている季節外れの風鈴が、時折「チリン、チリン」と鳴っている。

さて、、このほのぼのとした雰囲気の中、なぜ化学兵器を使用した戦争が起きたと言うのだろうか。

きっかけは、芝刈りと畑仕事を終えて、ウッドデッキで遅い朝食を摂っていた時のことだった。

一匹のアシナガバチが目の前を旋回する。

そして、その行方を目で追うと、そのアシナガバチは山小屋の玄関スペースの天井にとまったのが確認できた。

近くで見て見ると、そこには小さな巣が。。

そうか、、そういう季節か。。。

間も無くして、化学兵器攻撃の指令が下る。

その一分後、ジェット噴射式のハチを駆除する化学兵器がアシナガバチの巣に吹き付けられた。

大量の化学兵器の使用は憚れるので、使用は最低限に抑えられる。

ハチは驚いたように、10秒ほど巣に捕まって自らの体に起きた異変に気づき、そして、巣を後にして飛び立った。。

心の中で、「ごめんね」と呟く。

そして、主人を無くした小さな巣は、僕の手によって駆除された。

ため息一つ、、、ウッドデッキの椅子に座り、お茶を飲んで一服。

すると、今度は別のアシナガバチが僕のいるウッドデッキのテーブルの下へと飛んで行く。

もしかして、、と覗き込むと、、、あった。。

さっきよりでかい。。

本日2回目の化学兵器の使用指令が下される。

その20秒後にはジェット噴射が巣を襲う。

同じように親ハチが飛び立った後で巣を駆除。

そして、二つ目のため息。。



午後、山小屋の中で大量の小さなアリの行列が発見されたとの一報が届く。

そして、その大量のアリの発生は場所を移し、寝室の、、僕が寝る布団の足元で再び発見されたとの連絡が。。。

狭い狭い床と板張りの壁の隙間から、小さなアリが大量に、、そして少し警戒しながら出てきては僕の布団付近で徘徊を始める。

これはまずいと、僕は懐中電灯片手に床下に潜り込み、アリが出没するあたりを念入りに調査する。

すると、いたいた、、大量にアリが行列を作っている。

指令本部に戻り、マスクと粉末タイプの駆除剤という化学兵器を手に再び現場に到着。

そして、、本日3度目の化学兵器が使用された。

外に出てその現場の外壁付近を確認。

すると、巣があるかのように群れる大量のアリを発見。

本日4度目の化学兵器の使用だ。。



もし、ハチとかアリに人間とコミュニケーションが取れる能力があれば、僕は化学兵器を使用しないで済んだかもしれない。

きっと話し合いの場を持つ努力をしただろう。

そして、相互に譲歩できる解決策を見つけ出せたかも知れない。。

人間は、コミュニケーション能力があっても、、化学兵器を使う局面がある。。

それだけ、、物事は簡単ではないことを表している。。

なぜなら、コミュニケーションは、感情を伝えるための手段であるから、、コミュニケーションを取れたからといって、感情が別の問題を生み、、その結果、問題を解決できるとは限らないという話だ。。

ハチとかアリには感情はないだろうけど、、今日の僕の心は、、、少し痛んだ。。
2018.05.26

プレミアムな。。

今年の夏に15年ぶりに火星が地球に大接近するらしい。

もう既にかなり接近しているらしく、来月の下旬くらいからはとても火星が明るく輝いて見えるそうだ。。

忙しかった今週を締めくくる金曜日の夜、、、誰も待っていないと思うが、月末の金曜日は、、月に一度訪れるプレミアム・フライデーだ。

僕は、5年に一度くらいしか見れないかもしれない、巨人のエース相手に1-0という僅差の完封リレーで勝利した阪神の試合を見る。

そして、その後は井上尚弥の圧巻のKO劇。

それを見届けて、真っ暗な高速を走らせる。

2週間ぶりの山小屋。。

深夜近くの山小屋は、結構寒い。。

蒔いた豆類は芽を出さず、サツマイモも3割くらい枯れていた。。

これじゃ、野菜も育たないわけだ。。

芝生もかなり伸びてきたし。。

僕のプレミアムフライデーは、、こうして終わりを迎えた。。

さて、、明日は忙しい1日になりそうだ。。
2018.05.24

裸の王様とガバナンス

僕はM&Aのアドバイザーという仕事を長い間やってきた。

その経験の中で学んだ一つの格言のようなものがある。

それは、「すべてはその人がどう思うかで決まる」ということ。

これが正しいかどうかについては、色んな意見があると思うが、僕はいつもそう思っている。

例えば、自分がいい仕事をしたと思っても、実際にサービスを受けたクライアントがいい評価を下してくれるとは限らないし、その逆の場合だってありうる。

また、M&Aそのものの判断も、意思決定を行う経営者がどう思うか、で最後は決まる。

ある案件を、「絶対に買収した方がいい」とアドバイザーがいくら薦めたとしても、当事者であるクライアントの経営者が「その事業を欲しい」あるいは、「買うに価する」と思わなければ、物事は絶対に前には進まない。

例えば、M&A案件で売り手が100億円なら売却してもいいと思っている事業があったとしよう。

その100億円を安い(または安くはないが買うに価する)と思うか、とても100億円は高くて手が出ない、と思うかによっては、結果は180度変わってくるのだ。

買い手の経営者が、100億円をどう捉えるかは、不特定多数の要因が複雑に絡み合った結果として形成される、ある意味”心証”のようなものだ。

経済的な価値では表せないようなその事業が持つ魅力や希少性、その事業を取り巻く外部環境、今後の景気動向に対する景況感、さらには、競合他社に買われた場合に自らが受けてしまうダメージ度合い、、などなど。

数え切れない複雑な要因がその背景にあり、そのほとんどの要因に対してもまた、主観的な判断が大きな影響力を持つ。

しかしながら、多くの経営者は自らの判断が常に正しいとは限らない、ということを弁えている。

非上場のオーナー社長ならすべての責任は自分が取ればいいので、そうでない人もいるかもしれないが、上場企業の経営者は株主に対して善管注意義務、忠実義務を負っている以上、経営者個人の主観だけで重要な意思決定をすることは原則として許されない。

つまりは、ガバナンスが必要ということになる。

そのガバナンス機能の一つとして、経営者の主観をできる限り客観と照らし合わせるという作業が求められる。

そのために、僕たちM&Aアドバイザーは存在している。

先ほどの100億円の事業を、経営者は安いと感じていたとしても、第三者であるアドバイザーによる検証によって、それは理論的には回収できない、とても高くつく投資であると分析されるかもしれない。

その第三者からインプットされる情報によって、経営者の主観は変化するかもしれない。

これが適正なプロセスというものであり、世の中には、経営者が適正に注意を払い、必要なプロセスを踏んだ上で下した経営判断である以上は、その結果が仮に悪い方に転じたとしても、経営者に対する責任は問わない、という暗黙のルールがあると理解している。

僕たちは、これを”ビジネス・ジャッジメント・ルール”と呼んでいる。

僕は法務の専門家ではないので詳しくは語れないが、米国では随分と昔から判例により定着している考え方で、日本でもこの考え方は取り入れられていると理解している。



さて、連日メディアでも取り上げられているニュースについても、「すべてはその人がどう思うかで決まる」という考え方に照らせばどうであろうか。。

見ていると、、人間は弱い生き物だと改めて思う。

閉鎖的な社会での立場が強くなればなるほど、人は勘違いを犯す。

有事の際には、必ずといっていいほど、”保身”という魔法にかかってしまい、勘違いを正当化しようという防衛本能が働いてしまうのか。。。

実情はよくわからないけど。。

「ガバナンス」という言葉は、その仕組みだけが一人歩きするイメージがあるので個人的にはあまり好きではないのだが、、「実効性のあるガバナンス」は、やはり日常的に必要なんだろうと、、思う。

どこの社会でも、、裸の王様を作らないことが、、とても大事だと思う。
2018.05.23

雪は解けず

GW明けの週末。

スタート地点は、標高850メートルにあるバス乗り場。

そこから30分かけて標高1662メートルのロープウェイ乗り場まで移動する。

そして、そこからわずか7分半のロープウェイの空の旅は、僕たちを標高2612メートルの世界へと一気に連れて行ってくれた。

ロープウェイを降りると、目の前には余りにも雄大すぎる山々が広がる。

そして、その山々は、麓ではとうに春がやってきて、、もうすぐ夏も近いというのに、未だに白いシャーベット状の雪を身にまとい、どっかりと何食わぬ顔をして居座っている。

ここは、、駒ヶ岳にある千畳敷カールだ。

カールとは、氷河期に氷で削られて出来たお椀型の地形を言う。

まるで畳を千枚くらい敷き詰められる程の広さのカールということで、千畳敷カールと名付けられたそうだ。

僕に言わせれば、、畳千枚じゃあきかないと思うけど。


それにしても、広がる山々は、少し手を伸ばせば触れることができると勘違いしてしまいそうなくらい鮮明で、群青色の山肌を所々に見せながら、その稜線を綺麗に雪の白さが形取っている。

そして、その雪の白さは、その山の向こう側に広がる空の澄んだ青との境界線を綺麗なまでに縁取っていた。

まるで絵の具で描いた絵を見ているような感覚に陥る。

自然は、、、雄大だ。。

明らかに、、太刀打ちできない。。


見下ろすと、カールの中でまだまだふんだんに残る雪の上をスキーヤーが気持ちよさそうに滑っている。

そのスキーヤーの姿は、すぐ目の前を滑っているように見えるのに、実際に目を凝らしてみると、、スキーヤーの姿は遥か遠くにいて、、ほんの米粒程度にしか見えない。。

結果としてその錯覚に、改めて山々の雄大さを思い知らされた感じだ。


こんな大自然の中では、人間なんてちっぽけなものだし、、きっと人ひとりの命もあっという間に、、まるで何事もなかったかのように飲み込んでしまうんだろう。

エベレストは、、こんなものの比ではないだろう。。


大自然を前に、心が動いて、、何か曲が書けるようなヒントでもあるかと思ってたけど、どうやらそれも期待ハズレに終わったようで。。。

僕の曲作りの心の中にも、氷河期の氷で削られたようなお椀状のくぼみがあって、そこにはまだ溶けることなく残っている冬に降り積もった雪に覆われているのかも。。

雪も、、カッチカチだな。。

もう夏なのに。。

そろそろ、、かき氷にしてやろうか、と思う今日この頃である。。

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