加藤ヒロ 公式サイト

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2018.12.31

2018年、ありがとうございました!

平成最後の大晦日。

2018年がいよいよ終わり。

明日から2019年がスタート。

今年も、いいこと悪いこと色々あったけど、こうやってお正月を迎えられることで、、それだけでとてもありがたい1年でした。

今年はライブの回数こそ減ったけど、リリースライブを含めてワンマンライブを5回もやらせてもらって。。

2月には初めてカラオケ配信してもらい、年間を通じて色んなラジオ番組にもゲストで出演させてもらったし。

10月には2枚目のアルバムもリリースさせてもらって、ラジオ番組も2年目に突入。。

一番の思い出は、僕の憧れの秦基博さんとラジオ番組でご一緒できたこと。握手もしたし。多分。。あれ、、??握手したっけな??

まあ、いいや。

歌もギターも曲作りも、PV撮影も、ラジオ番組も、ライブも、、何もかも色々と勉強勉強の毎日だった感じ。

そんな他愛もない日々の日記、、今年一年ブログを読んでいただいた皆さん、ありがとうございました。

来年も色々とやりたいことが沢山あって、新しいことへの挑戦も含めて一杯考えていますよ。

来年も宜しくお願いいたします。

それでは良いお年を!

2018年12月31日
加藤ヒロ
2018.12.30

今年最後の海へ。。

夏までは、ほとんど海に出る時間もなく、忸怩たる思いで迎えた夏。。。

一度夏に出船してから、僕にしては頻度高く海に出た初秋までの2ヶ月。

でも、10月にアルバムをリリースしてからは、何かと忙しく再び全く海に浮かぶことができない期間が。。

で迎えた年の瀬。。

このまま年を終わらせたくないし、リリースライブも東京公演を終えて次の広島公演まで時間もあるし、年末で皆んなお休みだし、天気も良さそうだし、、、今日しかない、とばかりに、朝からのんびりと出かけて船を浮かべてみた。

典型的な冬型の気圧配置の中、風は午前中はそよ風程度で、波も少しうねりこそあるものの、全く問題ないレベル。

いつもの漁礁まわりからスタート。水深は40メートル前後。

ところが、、全く魚の反応がない。。

いつもは何かしら食いついてくるのに。。。

それでも、餌がかじられているから、まあ、エサ取り達は一応今日も元気に活動しているみたい。

で、餌取りを避けるために少しだけタナを上げてみると、、、気持ち良いアタリが。。。

上がってきたのは、小ぶりながら綺麗なマダイ。

まあ、、塩焼きサイズのお正月用の鯛ということでキープ。

その後、小さな雑魚や手のひらサイズのタイを釣り上げるけど、、触ってみて違和感あり。

魚自体がとても暖かい。

きっとまだ海水温が例年なみに下がっていないんじゃないかな。

下手すると、20度近くあるのでは、、と。。

この時期にこの海水温はちょっと信じられないなあ。。

漁礁まわりは状況が芳しくないので、思い切ってアマダイ狙いで沖の方のポイントへ移動。

実績のあるポイントへ。。

ここで、アマダイが連続で上がる。

まあ、サイズはそれほどでもないけど、、こんなに釣れるとやっぱり嬉しい。。

午後から風が急に強くなったので、早上がり。

今年最後の海、、堪能できました。。

今年は大島に行けなかったけど、、来年は行きたいなあ。。

アマダイは煮付けで美味しく頂きました!

海の恵みに感謝!来年もよろしくね。




2018.12.27

クリスマス・イブの電話会議

もう10年以上前に遡る。。

とある有名ブランドのライセンスを受けていた日本法人を、そのブランドを保有するオーナー会社に売却するという案件のアドバイザーを依頼された僕は、9月頃から相手方の代理人と交渉を開始していた。

元々は、ブランドのオーナー会社が自前で展開していた日本のビジネスだが、上手くいかなかった末に手放した会社を、その後の業績が予想以上に回復したことで、世界の中でも日本市場がとても重要な地位を占めるに至ったことから、自分で買い戻したいという、まあ、よくある話だ。

大体、ブランドのオーナー会社はその日本法人を「買わせろ」と高飛車な態度で迫ってくる。

「買わせろ」と迫るのはいいが、あたかもそれは元々は俺のものだからという態度で、とてつもなく安い値段で「買わせろ!」と言ってくるから困ったものだ。

彼らからしてみれば、日本法人が儲かっているのは自分たちがライセンス(使用許諾)しているブランドに、そもそもの力があるからだと頑なに信じ込んでいる。

確かにブランドに魅力は必要だ。

でも、ブランド事業はブランドの知名度とか歴史とか知名度だけで上手く行くことはあり得ない。

実際にその数年前には誰がやっても日本では上手く行かなかったブランドだ。

世界的な一部の超有名ブランドを除けば、それぞれの国と市場に見合ったデザインとか広告とかマーケティングの仕掛けとかが必要で、そういうものを熟知した各国の事業パートナーによるマーケティングや小売展開等のノウハウが、ブランド力と上手く噛み合って初めて商売は上手く行くものだというのが僕の見解。

それをグローバルで統一したがるのがブランドのオーナー企業の意向。

中途半端にしか売れていないのに、それをやると直ぐにビジネスは崩壊する。例えば、日本ではフラッグシップの路面店を欧米の人達は直ぐに出店したがるけど、大体そこで損失を垂れ流して損して撤退するブランドを僕はたくさん見てきた。

それでも、自分たちのやりたいようにやりたいらしい。だから、日本法人を「よこせ!」となる。。

そういう態度だから、大体のケースでは「その値段で売りたくなければ、まあ、今売らなくてもいい。その代わり、次のライセンス契約の更新は認めないからな。」という脅しを堂々としてくる。

この案件も例外ではなかった。

一方で、欧州のブランドオーナー側にとってみれば、将来的なIPOを見据えて、日本法人を傘下に収めることはグローバルでの成長戦略の観点からは絶対にやらなければならない事情があった。

だから、こちらからは相手の「買わせろ」モードのふざけた条件提示に対して、超強気のカウンター条件を提示して、これに基本的に乗ってこなければ一切の話し合いには応じない、という強行な姿勢で臨んだ。

相手側の代理人と何度か交渉の場を持ったものの、話は一向に噛み合わず、気が付けば季節は12月へと入っていた。

さすがに相手も、このままでは埒が明かないと思ったのか、こちらの主張の一部を認めるような態度で接するようになってきた。

何故なら、ライセンス更新の時期というタイムリミットが近づいていたからだ。

ブランドオーナー側にとって、「じゃあ、ライセンスを更新しないからな」と啖呵を切ったところで、実際には振り下ろすことが出来ない刀であることは分かっていた。なぜなら、ライセンスを切られてもこちらから店舗や販売員といったビジネスを継続する上で必要な大事な資産は相手に渡さなければ、スムースに商売を継続することは不可能だからだ。

そんなこと、最初から分かっているのに強気の態度で交渉してくるから、こちらとしてもそれ以上に態度を硬化させざるを得なかったのだ。

痺れを切らした相手方は、最終的にはこちら側の提案をベースに交渉のテーブルにつくという意向を表明してきて、その後、何度かのキャッチボールを行って、もちろん、案件をまとめるためにこちらも最低限必要な譲歩もし、最後にいくつかの重要なポイントだけがペンディング事項として残された。

そして、その重要イシューを解決するために、いよいよ最終交渉の会議の場が設けられた。その会議は電話で行うこととし、そして、その電話での最終交渉がセットされた日は、なんとクリスマスイブ。

最終交渉だから、ある程度意思決定権を持っている人が同席して、その場で話をまとめるしかないから、そんなお偉い方々の多忙なスケジュールを相互に調整したところ、もう、そこしか合う時間がなかったみたいだ。この日程でセットされた時点で、僕はほぼ勝ちを確信していた。。(M&Aの交渉に勝ち負けはないのだが。。)

開始時間は、日本時間の夜。欧州時間では午後遅めの時間で、一般的な家庭ではクリスマス・パーティーがあと2〜3時間もすれば始まるくらいの時間か。。

定刻に電話会議が始まる。

先方からの参加者は社長ただ一人。

可哀想に。。。そりゃ、そうだよな。クリスマス・イブだし。。

しかも自宅から電話をしているらしく、電話口の向こうで子供のはしゃぐ声も漏れ聞こえてくる。。

きっと、奥さんあたりに「あなた、一体いつまで電話してるの!今日が何の日か分かってんの?」なんて言われていたりして。。。

結局、日本時間で日付を超えた頃に、大方の条件を先方が飲む形でほぼ契約交渉は終了。

そんなクリスマスの日に、欧米の人が契約の大詰めの交渉をやっちゃダメでしょ。やっぱり・・。

まあ、僕らにとってみれば、ラッキーだったかも知れないけど。

それにしても、あの頃はしょっちゅうそういう深夜の電話会議とかやってたな。。

若かったからな。。

もう、、無理だな。。うん、絶対、無理だな。

もう、出来ない。。
2018.12.26

クリスマス休暇の過ごし方

子供の頃はクリスマスというイベントに特別な思いを描いていた。

別にサンタクロースを信じていた訳でもないし、誰かから頂くプレゼントを楽しみにしていた訳でもない。

純粋に街全体が光で彩られ賑やかになるにつれ、冬の寒さも本格化するこの時期が子供ながら季節感をたっぷりと味わうことが出来たからだと思う。

クリスマス商戦で鐘を鳴らし声を上げる商店街や、デパートの豪華な装飾が光り始める夕暮れ時の風景を見るのが大好きだった。

その背景には、読書が嫌いな僕にしては珍しく、子供の頃に読んだ本がシャーロック・ホームズであったり、エルキュール・ポアロだったりと物語の舞台が欧米の街であり、それを描写する色んな表現がとても印象に残っていることや、僕が聴いていた音楽がビートルズであったり、晩年のジョン・レノンの曲だったりと、それらに夢中になっていた中学時代が振り返ってみれば人生で一番欧米に憧れた時代だったかも知れない。

ニューヨークで働いていた頃、みんな必ずクリスマスには休暇を取り、家族でどこかに出かけるか、親戚が集まってゆっくりと過ごすのが一般的。

特にニューヨークは、クリスマスともなればとびきり寒くなる街だから、お金のある人はみんなフロリダとか、バミューダとか、南の方へと旅行していた気がする。

お金持ちの人は暖かい所が好きなんだなあ、と思ったけど、日本人もみんなハワイに行くのと一緒だな。

だいたい11月の下旬のサンクスギビング休暇(通常は木曜日から金曜日までの4連休)が終わって、12月に入り1週間もすると至る所でSeason Greeting!と書かれたグリーティング・カードを目にするようになり、もう心は完全にクリスマスムードに染まっていた。

そんなクリスマスも24日と25日だけではなく、確か会社は合わせて4日間休みだった記憶がある。

このクリスマス休暇だけは、普段ワークホリック気味の欧米人であっても、どんな大事な仕事があろうと、どんな大事な会議が予定されようと、ほぼ100%の確率で仕事を休んでいた。

この休暇に仕事をすると、、ほぼ100%の確率で家族からは見捨てられるのだろう。。。

そんな欧米の文化を知っているからか、日本に帰ってきてから海外のM&A案件の仕事をしていた時は、12月の中旬までにちゃんと予定通り進めておかないと、下手すると完全に2週間くらい案件が止まってしまうことも珍しくなく、案件の成否に懸念が出ることも珍しくなかったので、とにかくこちらが急ぐ案件は12月中旬までに大事な条件については合意まで取り付けておきたいという事情があった。

一方で、日本がまだ正月休みでお屠蘇気分でいる1月2日からは、まったく普段と生活パターンを伴ってみんな仕事に取り掛かっていた。

日本は3日までは休みだからといっても、なかなか外国人には理解してもらえなかったけな。

でも、海外にいる相手がまとめたがっている案件で、このクリスマスという特別な日を活用させてもらった案件もあったな。。

懐かしい。。

この話、、次回のブログでご紹介しましょう。
2018.12.23

慌ただしくも充実。。

広島に滞在した3日間は、あっという間に過ぎてしまった。

昔住んでいた街を歩いて巡り、仕事の打ち合わせの後、ヘトヘトになって早めに就寝した初日。

おかげで体力はすっかりと回復して、二日目はホテルのビュッフェで朝食をとり、買い物に出かけ、広島FMのラジオ番組にゲスト出演してから、母校である高校を訪問した。

これで、小中高と通った学校を今回の滞在中に一通り訪問したことになる。

高校では、僕の高校の先輩であり、そして同じ関西大学の先輩でもある方が教頭先生に就任していた。

その先輩によれば、学生時代にその先輩を僕が訪ねていったことがあったらしく、今回の再会をとても喜んでくれた。

残念なのは、わざわざ先輩に会いに行ったはずの僕の記憶の中に、そのことが残っていないこと。。

そんな大切なことを忘れるなんて、本当に人の記憶なんて当てにならない。

母校では、相変わらず僕の中学時代からの同級生が先生をやっていた。

彼は、今まで僕が暮らした場所の殆どを訪ねてきてくれている、とても変わった、そして貴重な友人だ。

僕の実家、学生時代を過ごした大阪、そしてニューヨーク、東京の今の自宅と以前住んでいたアパート。そして、僕の山小屋にも家族で遊びに来てくれたし、去年の夏は今の両親の実家にまで遊びにきてくれた。

そんな彼の長男がこの度大学の推薦試験に合格したということで、ささやかながら祝賀会を開かせてもらった。

試験の際に提出する論文、面接での受け答え、、僕のアドバイスのおかげだと言ってたけど、それ以上に本人が努力した結果だと思う。

食事の後は、僕の中学時代の同級生がママをしている薬研堀のスナックへとその友人と二人で行った。

店に入ると先約が二人いた。

二人ともかなり出来上がっていて、一人はカウンターに顔を伏せて寝ていた。

もう一人の年配のおじさんの隣に座った僕に、そのおじさんが親しそうに話しかけてきてくれた。

聞けばお二人とも江田島市役所に勤めているということで、僕がミュージシャンをやっていることがわかると、冗談半分で一度江田島に来て歌ってほしいと言った。

がんねムーンビーチを復活させるプロジェクトがあるので是非、ということだった。

名刺をもらったけど、相当酔っていたので、本当に誘ってくれるかは分からないけど、、本当に行くことになったら僕が江田島の曲を書くことを約束した。

もし、そういうことが将来あったら、この小さなスナックでの出会いがきっかけだということを、ブログを読んでくれる人は思い出してもらえれば。。。

金曜日は休暇をとって兄貴とゴルフに行った。

もう一人、中学時代の野球部で一緒だった友人と3人で回った。

彼は、広陵高校であの阪神の金本前監督と同期で、その金本前監督よりも早くレギュラーを獲得し4番を打った。

野球センスは中学時代からずば抜けていた。

今になって、笑いながら一緒にゴルフをラウンドできることが、とても嬉しい。

ゴルフから帰ってきて、毎年兄貴と訪れる焼肉屋に行って肉を食べ、ビールを飲んだ。

毎年、同じ話を繰り返すように、幼少期に住んでいた街の話で盛り上がった。

話は半分以上は、ほぼ去年と同じ内容かもしれない。

最後は、いつかその昔住んでいた街に一緒に行こう、ということで終わる。。

多分、来年も同じ話をして、またその住んでいた街に一緒に行こう、という話で終わるんだろうと思う。

焼肉屋の後、今度は兄貴の中学時代の同級生がママをしているスナックに行った。

ここも、その焼肉屋の後には必ず訪れるお店だ。

僕らが中学生だった頃は、今の少子化傾向からは考えられないくらい生徒数が多く、兄貴の時で一学年9クラス、僕の学年では12クラスまで膨れ上がっていた。

不思議なもので、それくらい人が集まれば、学年に一人くらい大人になるとスナックのママになる人がいる。まあ、気軽に飲みに行けるお店があるということは、とてもありがたい。。

そのお店で、去年入れたブランデーの中身は、殆ど減っていなかった。

こうして二人で年に一度訪れる時くらいしか飲まないボトルだからだ。

カラオケを歌ってお開き。

こうして僕の広島滞在の最後の夜は更けていった。。

慌ただしくも充実した3日間だった。

次回はライブ会場で、、、お会いしましょう。
2018.12.19

束の間の、、昔めぐり。

大阪にて。広島で過ごした中学時代の同級生との再会。

何度か僕のライブにわざわざ足を運んでくれた際に軽く会話は交わしたけど、じっくりと話すのは卒業以来。

中学卒業以来ということは、、約35年ぶりということ。

一言で35年と言っても、多感な成長期を経て高校・大学を卒業し、社会人として荒波にもまれ、色んな出会いと別れを繰り返し、そして最愛の人生のパートナーと巡り合い、たどり着いた今に至るまでの月日は、僕の記憶の中にある同級生のイメージを180度変えてしまうくらいの可能性を内包している。

実際に彼のケースも、僕が抱く彼の中学時代のイメージを相当程度覆すもので、どちらかと言うと小柄だった彼は、中学卒業後にぐんと身長が伸びたらしく、少なくともその当時のイメージからは想像がつかないくらいに大人になり、年相応に歳をとり、顎にある少しばかりの無精髭が、その逞しさに拍車をかけていた。

酒を飲み交わしながらの昔話。彼とはクラスは違えど同じ野球部だったから、僕の記憶の中では、彼はいつもその体格に比して大きめのグローブでノックを受ける姿が焼き付いている。

彼曰く、当時の僕の印象は、野球とビートルズ。やっぱりそうか。。。当時の僕を知る友人は口を揃えて言う。「野球とビートルズ」。うん、、、響きは悪くないけど。。

そんな昔話に花を咲かせていると、無性に昔を辿ってみたくなった。

翌日の朝、予定通り広島へ。そして、広島駅からローカル電車に乗って中学の頃住んでいた街を訪れる。

子供の頃には無かった道路が作られ、その沿線には郊外型小売店舗が立ち並ぶ。その景色にも随分と慣れたものだ。

それでも一本路地に入れば、昔と変わらない街並みが微かに残っている。

中学校に到着。。。グランド。確かに大人の目線からすれば随分と狭く感じる。

僕が書いた「ポプラと見上げた空」の曲に出てくるポプラの木は、、、残念ながら伐採されてたけど。。

どうせなら、とちょっと遠いけど、通っていた小学校まで歩いてみた。

通学路の途中には、やはり子供の頃には無かった高速道路が走り、その橋桁に沿って新しい道が作られている。そこには田んぼがあった。稲刈りが終わった後の稲の切り株を足で踏むのが好きだったな。

そんな道を進んでいく。ところで、僕が通った小学校は山の中腹にあって、途中からかなりの坂道を登ることになる。

考えてみれば、僕は子供の頃から坂道ばかり登っていたような気がする。

この坂道は、周りの住宅自体はその多くが建て替えられていたけど、道路自体は全くと言っていいほど当時のままだ。

坂道の左側にはひし形の石垣を積み上げた土留めの苔生した高い壁。その苔は、僕が小学校の頃からずっと生き長らえてそこにいるようにさえ感じられる。

それくらい、何も変わっていない。

それにしても、、、この坂道はハードだ。息が上がり、、汗が滲んでくる。

こんな坂道を毎日登って登校していたかと思うと、自分のことながらとても感心する。

今の僕なら、それだけで登校拒否になりそうだ。

坂道を登りきると、眼下に校庭が広がった。

今見ても、立派な校庭だ。

休憩したかったけど、、、ヤバイ。。夕方の仕事の打ち合わせに間に合わない。。

と、そのまま山を下ってまたローカル線に乗り再び広島駅へ。。

ああ、、荷物抱えたままの昔巡りにクタクタ。。

今日は早めに、、おやすみなさい💤💤


写真は、ローカル線の無人駅から見る単線の線路。。

まだこんな風景が残っていることに、ホッとする。



iPadから送信
2018.12.16

謎の宅配物。。。

数日前のこと。。。宅急便の不在票が入っていた。

送り主の欄には、ただ「中国」とだけ。

なんだ、この雑な記載は。

中田さん、、の間違いか。。と思ってたけど。

それでも、中田さんという知り合いで思いつく人はいないし。

その数日後に、実際の物が届く。

送り主は、本当に中国だった。

とても軽い小さな箱が二つ、、テープでくっついて一つの箱にしてある。

箱を振ってみると、その存在感をほぼ感じさせない程度のものが中身入っていることそ想像させる。

何だろう。。全然ピンとこない。

中身も送り主も全部中国語。

僕が知る限り、どれだけ頭を捻っても、この時期にお歳暮のような物を送ってくれる間柄の知り合いは中国にはいないし。

何が何だか、さっぱり分からない。

ちょっと気持ち悪くなる。

こういう身に覚えのない荷物が届いた時の対処法をネットで調べてみると、少なくとも箱を開けない方がいいと書いてある。

確かに、、葉っぱのような薬とか入っていたら嫌だし。。

後になって、高額な請求書が送られてきたらもっと嫌だし。。

結局、色々と対処法を相談したところ、受けとらなかった事にしてもらう方がいいという結論に。。

なので、宅配業者に言って送り主の住所に返送することにした。


それから2日ほど経った頃だろうか。。

半年以上前に、とあるクラウドファンディングに参加した事を思い出した。

そして、購入した商品の発送が予定よりも大幅に遅れているというお詫びのメールと、やっと全ての商品の発送が終了したというメールが来ていたことも思い出した。

きっと、これだ。。。

全く、、忘れていた。。

日本語で表記してくれたいたら、すぐ思い出せたと思うけど。。

もう二度と送られてこないだろうな、と思い、プロジェクト責任者宛てに返品処理をお願いしてみた。

HP
上では数日で返事を出す旨の記載があったけど。。。このまま返事もなく、お金を払ったままで終わってしまうのかな。。

最近は、ふるさと納税の偽物サイトもニュースで報道されているし、、ネットでのお買い物は気をつけないとね。

まあ、自分の記憶ほど当てにならないものはないと、実感した平成最後の12月でした。

以上!
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